こどく どくどく

定番ですが
ウツウツのお休みは孤独です。
人と会う気力なんかもちろんないから
こちらから連絡取ることはめったにないし、
この人なら、と会える人は働いてるからしょっちゅう会えるわけではない。
お休みが始まってすぐに飛び込んでいった友人は遥か遠くに住んでるので会いに行けない。
LINEやSkypeでメールや動画通話ができるけど、しんどいときはそんな気力はない。

でも、寂しいのである。


ほんとに仕事以外の場所でもっと交友関係を作っておくべきだった。
そんなこと前々から分かってたけど、いかんせん深く狭くの付き合いなタイプだし、
だんだん仕事でしんどくなると交友関係を広げる気力も落ちてった。
そもそも心を開けないから交友関係の広げ方も分からなかった。


どうしてそんなに心を開けないのか?
いつからか、人に期待しない自分を作っていったから。


いつかこの人もいなくなる、いつか自分じゃない別のところに行ってしまう。
それなら、自分から離れよう。
一緒にいたいと思うから寂しくなるんだ。
最初から期待しなければ寂しい思いをしなくていい。
ずっと一緒にいることなんて不可能なんだから
そのうち離れることを前提に付き合っていこう。


20代の頃、働き出してお金も自由に使えるようになって、友達といっぱい色んな所へ行って遊びました。
休みの日に予定が入ってない日の方が圧倒的に少なかったし、来月の予定も常に入れていました。
思いつきで誘っても、たいがい誰かのってくれる。
ディズニーリゾートや旅行、お泊りパーティー、いっぱい楽しい思い出があります。

それが徐々に少なくなる。
結婚する子も増えてきて、今までのように予定を入れることが減っていった。


そのうち、「どんなに仲が良くてもどんなに大好きでも、そのうち自分から離れていく」という固定観念ができました。
それは、歳をとるうえで仕方のないこと。
でも心の底ではそれを受け入れることができなかったんですね。
そしてなぜかいつになっても結婚願望が芽生えない。
結婚を考えると、マイナスなイメージばかりを考えて「やっぱり無理だ」と思ってしまう。
1人の人とずっと一緒にいることなんてできるのだろうか・・?って。

少しずつ自由に会える友人が減っていったり、仕事で新しく親しくなった人なんかに強い執着をするようになりました。
心の底に「離れてほしくない」という気持ちがあるから
その相手のために自分は最善のことをする。
予定も合わせて調整をつける、相手が喜びそうなことをする、
でも、自分の基準に合わないと相手を責める、許さない。


「私はあなたのためにこんなに思ってやっているのに、どうして同じようにしてくれないの?」


こんな不満まるだしで態度悪ければ、私なんかと一緒に遊びたくなんかないよな。
そう思って自分から連絡を取らなくなった友人もいるし、
私じゃなくてそっちへいくなら、私も別のところへいくよ。
それで連絡しなくなった友人もいます。


こうやって明文化すると、恐ろしい。


そしてその結果、「私は1人で生きていくんだ。1人で生きていけるために強くならないと。」と思うようになりました。


気がついたら交友関係は今そこにある職場のスタッフがほとんど。
そして仕事が原因でウツウツになった今、連絡を取りたいと思う人もいない。


人に期待しない、1人で生きていく
この根底に自己否定があります。

こんな自分を選んでくれる人はいない
こんな自分に選ばれる人は気の毒だ


今は「本当は人と一緒にいたくて1人は寂しい自分」だということが分かりました。

なぜこんなふうに思うようになったのか?
自分が今まで人に執着していた、その根本の原因を突き詰めていったら、自分がどんな風に人と向き合っていたのか、寂しさを認めないために自分に言い聞かせて納得させようとしていたのかが分かりました。
辛かった。まだ辛い。
それはまた、こんど。


孤独は辛く悲しいです。毎日寂しい。
でもこの孤独の経験は、無駄ではないと思っています。

  


できなくていい

今日は朝からまるっきり調子ワル。
良い日なんて、なかなか来ないものだ。
昨日午前午後とPCに向かって1時間以上、結局ぐったり。
ブログも長々書きすぎた・・。
でも、ネットは1回30分程度と目安がつきましたface01


夕べは早めに睡眠剤を飲んだにも関わらずなかなか眠くならずテレビも見てしまい、
それなのに4時間ちょいで目が覚める。
それからまた1時間ほど寝たけどすっきりしない。
あまり寝れなかった、という事実がまた自分を煽る。


朝起きてすぐに思ったことは、「今日1日どうする?なにかできない?」
どうも潜在意識のなかでは焦りが強いようで、どうか煽る。
「したいけどできない」→「できない」
まだ、できない。
できない自分で良いのに
今日休職手続きのための診断書をもらい、上司に渡してきました。
診断書を取りに行く前からやたら緊張してたけど、これでひとつ区切りをつけることができればいいな。
荷物も撤収して、職場から自分を手放してやっとまた、次の段階に進める気がする。



自分を許したくても許せない時、自分を絵にしています。
ウツウツしている自分とそれに「いいんだよ」と言ってあげる自分。
自分を絵にして客観的に見ると、「ああ、今自分はこう思って辛いんだなあ」「自分で許せてあげられたなあ」と思えます。
心の中で思うより、ずっと効果がある。
具現化すると自分がよくわかる。


Amazonで頼んだパステルが届きました。
他の画材もそろえた。
パステルアート始めるぞface02
絵を描くのは楽しい。パステルの風合いが気分を和やかにしてくれます。  


身体のサイレン

ここ2.3日耳閉感がある・・。
なんでだ?


ストレスがたまってまず自覚するのが体のこと。
でも無視しやすいのも体のこと。
疲れとかイライラとかなんて働いていれば標準装備なんだから、大して気にもしないし、それ以上に気持ちが元気なら頑張れちゃう。
身体のサイレン、気持ちで止めちゃうんです。



初めてストレスで仕事を休んだのが4年前。
それまでもなんだかウツウツしてたことはあったけど、ウツっぽいってことなんか思わなかった。
日がな毎日すごい不平不満があって、もう呪いにも諦めにも似た怒りが常に心の底辺に沈んでいた。
不平不満を言う自分がいけないから、その不満は非公開のTwitterに記録。
そしてそんな思いを持つ自分て、最低な奴だと思っていた。


初めてストレスで仕事を休む1年ほど前から、ストレスが高じてしでかしてるんだろうと思われる妙な嫌がらせが相次ぎました。
嫌がらせが発覚し、徐々にほかのスタッフにも広がりました。
内容は大したことではなく、でも足もつかず、首をかしげるような謎の嫌がらせ。
嫌がらせを受ける理由はないという自信があったのでそのこと自体は平気だったし、支えてくれる先輩や上司がいたから気持ちは大丈夫でした。

でも徐々にジャブがきいたのか、それが長年の膿があふれるきっかけになったのか、
いつからか「みんな、私がOKを出したからやりました、って言う。みんなが私を頼るのは私に責任を押し付けることができるからだ。私を利用している。」と思い込み始めました。

若手やブランク明け再就職のスタッフのフォローを常にしていたから、相談役になっていたんですね。
相談役は嫌じゃなかったけど、忙しい時でも自分の仕事とフォローを両立させなきゃいけない。時には自分の仕事を置いといてフォローに走らないといけない。余裕がないときはかなりしんどいです。
「ちょっと待ってもらえる?」って言う、そのことに罪悪感を感じたり。
そのうち「フォローしながら自分の仕事を賄えるんだろうか・・」の不安が強くなって、その日の仕事を無事に終えられるか怖くて仕方なくなりました。余裕がなくてソワソワしてる私を見たら周りが不安になってしまうし、という思いもありました。
だから、出勤前の憂鬱ったらない。

そのうえ1年以上続く不可解な嫌がらせが加わり、いよいよストレスがたまって思考回路もおかしくなってきて、ある日、

「そこまでして、私に来てほしくないんだ。」

・・と思ったとたん、仕事に行けなくなりました。
その時は1日休んだだけだったけど、それからどんどん自己否定が強くなっていって
「自分の周りで不可解なことが起こるのは自分に原因があるんだ。私の存在が問題なんだ。」と思うようになって、
また別の日、仕事に行って上司の顔を見たとたんに泣きはじめてしまって止まらなくなり、5日間ほど仕事を休みました。
その時から精神科にかかり始めました。病名は「適応障害」。
安定剤と睡眠剤を処方され、安定剤を飲んで落ち着いて仕事ができるならそれでいいと、またいつも通り仕事を始めました。
その時も、「仕事を休むのであれば責任もって受診しなければならない」という思いで受診したのです。

不調を知っておきながら放っておいて、また仕事を休むことがあったら。
それは社会人として無責任であり、周りに迷惑をかける

どこまで「他者中心」なんだか。



ウツウツへの明確な道のりはここから始まっています。

この2,3か月後くらいから、瞼が重いという自覚が出てきました。
あー、ついに年取ってたるんできたのかなあ‥、とがっかりしながら鏡を見るとまったくたるんでない。
でも確かにある重さ。
当時はまったく気づかなかったです。
精神科に通い始めて半年後、たまたま部署移動になりました。
この部署移動でかなりストレスが減りました。
・・当時は。


今回お休みに入る半年前、最初に体に出た症状は瞼の蕁麻疹。
両目とも、虫刺されのように赤い蕁麻疹が出ました。
朝起きて蕁麻疹ができてて、出勤する1時間後くらいには引けている。それでも皮膚科に行って「突発性蕁麻疹」との診断を受け、処方もしてもらいました。
蕁麻疹はすぐよくなりましたが、1ヶ月くらいでいろんな症状が出てきました。

耳鳴り、耳閉感(これは常にあって耳鼻科にも行った。特に問題はなかったけど聴力検査で低音部の音が聞き取りにくくなっていた)
瞼の重さ
舌の違和感、しびれ、味覚を感じにくい(味覚がイマイチなのでモノが美味しくない)
喉の違和感(薬がのどに貼り付いた感じ、最初はそうだと思って何度も水を飲んでいた)
喉の違和感が高じて閉塞感(喉仏や鎖骨の間辺りにブロックが入ってつまっているような感じ)
下痢やら便秘やら
毎晩はっきり見る夢、熟睡感のなさ
早朝覚醒
出勤前の吐き気
ずーっと続く頭痛、頭重感(今まで効いていた薬がまったく効かない)

今となって思い返すと、ずっと前の元気で働いていた頃から夕方のお腹の張りがすごく強かったです。私は子どもの頃から大食いでおトイレもとても順調な性質だったので、腸の動きが良すぎるんだと思ってました。
だったら張るなんてことはないですな、仕事で気を張ってるから腸の動きが悪くなってたんでしょう。

色々な症状から食欲は落ちるし量も食べられなくなってくるし、熟睡感がないから疲労がどんどん増していくし、なにより判断力も落ちていきます。でも考えなくちゃいけないから必死で考えて、ぐっと疲れます。いつも眠くて疲れてました。
眠気とだるさが辛くて、覚せい剤が欲しい、なんて思ったこともあります。
脳がぶっ壊れてるから。
そこへきて、なんとなく気まずい・・、から始まった人間関係のストレス。これがキツイ。
体調がイマイチなので元気がないから周りも顔色をうかがってくる、悪循環です。


休みに入って、体の症状はほぼなくなりました。
頭痛と睡眠が安定しないことはしばらく続きましたが、睡眠はここ1週間くらいでかなり良くなってきました。
ストレスによる頭痛はなくなったと思いますが、頭痛は私のバロメーターのようで、心理学的セルフワークをした次の日なんかは頭痛がとんでもなくしつこく続きます。
頭痛がとれると、「ああ、我慢してた感情をちゃんと出せたんだなあ」と思えます。


でも、なにより嬉しいのは朝の吐き気がないことと喉のつまりがないこと。
喉のつまりはピーク時は痛いくらいでした。どうにか流れないかとさすっていたくらい。
夕方のお腹の張りも気づくとまったくない。「そうだったのか・・」と驚くにしかり。


なのに、なぜかこの2,3日右耳がプツプツいってるけど、なんだろ。気持ち悪い。
まあ、仕方ない。とにかく楽に過ごそう。ゴロゴロしてよう。


これらの症状、人に言っても「不定愁訴でしょ」と思われるような気がして言えませんでした。
最初はストレスからくるものだという事を、自分自身否定していました。
それは甘えだと。疲れてるから、ちゃんと寝ないからこういうことになるんだと。
自分から出てるサイン、自分が認めてあげなくて誰が認めてくれるのicon11

まあ、精神科の受診のときに「耳鳴りが強くて‥」と話したときに耳鼻科受診するよう言われたので「やっぱりストレスと結び付けちゃいけなかったか・・」と思っちゃったってのもあるんですが‥。

医者に何と言われようとも、自分が「不快だな、不調だな、身体がなにか言ってるぞ」と無視しないことは大事です。
インフルエンザとか胃腸炎とか、分かりやすければ訴えやすいのにねえ‥。

目に見えるものしか信じない、目に見えないものほど疑って意識してあげないと気づかず見過ごして大変なことになっちゃうんですね。


やっちまったなー。  


久しぶりにお誘い

来月から休職に入ります。
休職になると部署の所属から外れるので、そのうち荷物を撤収しに行かなければいけない。

それはいいんだけど、
辞令として上司からスタッフに伝えられる前に、「この人だけは」という人には自分から話したい。
そう思って上司に連絡したら、まだ誰にも言っていないけど話すなら今週中に、とのお返事。

今週中・・。

今かなりキツイことのひとつに、行動に期限があること。
いついつまでに、何時までに、というのがあると途端に緊張してソワソワして、結果ウツウツになるんです。
さっさと済ませば楽なのに、なかなか腰が上がらない。
だって無気力なんだもん。無気力なのにいつまでに、とか言われてもねぇ。


それでも上司の計らいは嬉しかったし、自分から伝えたいし何より会いたいという気持ちは強かったので連絡しました。
緊張した~。
直接話したかったのは2人。2人とも快諾してくれました。


「心配してたよ、私も話したいよ。ゆっくり話そう。」と。


ある日プツンといなくなって、そのまま音信不通、それなのに「私も話したいよ。」なんて・・。
私、いたんだと思ったら本当に嬉しかった。ホッとしたというのも正直な気持ちです。


拒否られたらどうしよう、拒否られたら怖い。
ウツウツして休んでる人と会うなんて気持ち悪いんじゃないか。
そんな怖さがありました。

良かった、自分を受け入れてもらえた。嬉しい、ありがとう。
素直に受け取ろうと思います。



私の最大の克服点、「自己否定」
その最たるもの「存在否定」

自己否定に昔から悩まされていましたが、その芯に存在否定への恐怖があった事を知りました。
存在否定が怖くて無意識にそれから自分を守る日々。
存在否定の恐怖から自分を騙して言い聞かせて「信念」らしいものを刷り込ませて納得させていた日々。


生きることに疲れてしまった原因をちゃんと整理しておかなくちゃ。
自分が出せなかった「弱さ」を聞いてもらいたいと思ったんだから、聞いてもらいたいことまとめておこう。
それがまた一歩になるはず。
  


焦るとか緊張するとか

なんだか妙な焦りがある。

夕べはかなり睡眠の質が良かった。朝も起きられた。

けど、妙にフワつく緊張感。
なんだこれ、なんの緊張?

この療養をきっかけに、自分の感情を無視しないということを学んで心がけていますが、なかなか原因がわからないこともある。
習慣にしているのは、胸に手をあててさすること。これだけでもだいぶ落ち着きます。


ちょっと気持ちが楽だ、でも何もしたくない
・・楽だと思った時、何かしたいと思わなきゃいけないと思ってない?


お得意の検索が始まってしまった。でも今日の検索で見つかったことは良かった。

「焦りを防止する3つの考え方」のひとつ、→他人を遮断する=人と比べない

療養期間に入ったばかりの頃、不安と焦りで検索ばっかりしてました。
みんなどれくらい休んでるんだろう・・
だいたいどれくらいで良くなってくるんだろう・・face07


なにも手が付けられないほどの状態でひたすら横になってる分にはいいんですが、体が楽だと「何かしなきゃいけないモード」「何かできるはずだモード」が発動して、「でもどうして何もする気がないんだろう・・?」の自己嫌悪。

最近読んだ石原加受子先生の本、「仕事・人間関係『もう、限界!』と思った時読む本」で

“○○しなければならないのに、できない。○○したいけれども、できない。こんな状態のときは、この「できない」のほうが本当の自分自身なのです。
しかもそれは、できないのではなくて、したくないのです。
「ずっとこんな調子で、いつになったらできるようになるのだろうか」とあなたは思うかもしれませんが、自分では自覚がなくても、「心がとても傷ついている。心がとても疲れている」のだと認識する方が大事です。”

この部分には救われました。
カウンセラーから「頑張なければうまくいかないと信じているうちはうまくいかない。力が抜けたところからがスタートだから。自信はつけないように。頑張っちゃうから。」と言われて大変納得したのに、それを体に刷り込むことは難しいものです。

結局、まだまだ「○○しなければならない」とか、今の状況に甘えているとか潜在的なところで思ってるんだよなー。
何もしたくないんだから、したくないんだよな。


誰が2年休んだとか、数か月で復職したとか、それは人の話しであって自分の話しではない。
未来がどうなるかわからない。来月元気ででかけまくるかもしれないし、こもってるかもしれない。
それがその時の「今」の自分なんでしょ。
未来に支配されちゃって。今を生きるが大事だって言ってるじゃん。


気にすんなよーface02


さ、寝るか?空でも眺めるか?




コチラの本、自分にとってはちょっとまだしんどい部分もありますが、今後すごく参考になる本だなーと思いました。



  


あの日

もうだめだと思ったあの日。

朝起きて、布団からでるまでがまず大変。その頃には早朝覚醒もあったし熟睡がなかなかできない状況にありました。
起きる→体を起こす→そのまま前のめりにかけ布団の上に突っ伏す→しばらくゴロゴロと悶絶してやっとこ起きる→出勤まで続く吐き気。
でもその日は違いました。
四つんばいのように起き上がり、枕を見つめながら「行きたくない・・」「辛い・・」「どこにいても苦しい・・、逃げ場所を探すのも疲れた・・」

疲れた・・

楽になりたい・・

自然に疲れた、楽になりたいと思った時、
「死んだら楽になれる」と思いました。

「死んだら楽になれる」
これは死にたいという感覚とはちょっと違ってて、
“今日は疲れたからお風呂にゆっくり入ってごろーんとしよう、ごろーんとしたら楽だぞ~”
というのと同じ感覚なんです。

でも自分の意図しないところで浮かんでくる発想なので、それをつぶやいたとき心底悲しくなって泣きました。
でもその日は退職するスタッフがいて、みんなで労いをこめたお祝いをして送り出そうと予定していました。そんな人生の大切な日に私が出勤しないことでそのスタッフの汚点になりたくない、その気持ちを優先して這うように仕事に行きました。
行きの運転もずっと泣いていて、車を降りて駐車場から建物に入るまでに泣いていた痕跡を何とか隠しました。
でも、表情や雰囲気は限界を超えていました。

同僚がすぐに気づいて「辛いよね」と声をかけてくれて、そこで初めて「休みたい・・」と言ったのです。

あの時声をかけてくれなかったら、私はどうしてたんだろう。
体中が緊張していて、頭の中はストロボに照らされているようで、呼吸ができなかった。

同僚が「ご飯は食べてきたの?」と聞いてくれた時、
「・・私、何のためにご飯食べるんだろうと思っちゃうんだよね。私何のためにここにいるんだろう。」
か細い声で、初めて本音を言いました。

その同僚はしばらく出張で離れていて、出張から戻って2日目だったのです。
それまで誰にも苦しい本音を言えませんでした。


もっと弱音を出せていたら、絶対助けてもらえていた。

でも私は苦しくても言うべきではない、できないなんて言ったらみんなが困っちゃう、ほんとは誰かに助けてほしいけど、そんな自分をみせられない、

私は息もできないほど苦しくて、体中にストロボが走るほど緊張していて、そんな気持ちを隠すことはできない。
憂鬱な顔をしている人には誰も近寄ってきません。
なにより、弱音を吐かずに強がってる人間には絶対に人は近寄ってこないのです。


当時の自分には分かりませんでした。


潰れる3か月ほど前、先輩に「睡眠が安定するまで休んだ方がいい」と言われました。
なるべく休みを入れて、余裕をもって勤務を組んだけどそれでも辛くて休むことがありました。
だんだん、周りから白い目で見られるような気持ちになって、周りから「こいつは当てにできない」と思われてるんじゃないかと思って、
もう仕事は休まない、これでは居場所がなくなってしまう、こんな自分ではダメだ。
睡眠不足でも食欲がなくても緊張がとれなくても今まで親しくしていたスタッフと話しづらくなって居心地が悪くても、
家に帰って頭を抱えて落ち込みながら泣いても・・。

そうして仕事に行った結果、潰れました。

自分いじめです。


長時間労働での過労死や映画や本でも「辛いなら仕事からは逃げてもいい、逃げることは自分を守ることだ」と言われるようになってきました。
私も「うつヌケ」「死ぬくらいなら仕事辞めれば?・・ができない理由(ワケ)」を読みました。
他にも鬱に関する本や心理学の本を読んだりしましたが・・
Twitterで話題の「ちゃんとした大人」は心に刺さりました。
私も自分の声が聞こえていれば・・、聞いていれば・・。




すっかり脳と心がぶっ壊れていたので、無理でしたが。



  


はじめまして

お仕事をお休みしてまだ日も浅い。
まだまだ身体も心も不安定。
焦りや不安もある日々ですが、少しずつ「今」を大事に生きることが分かってきた最近です。
自分の感情にふたをして我慢して、周りが困らないようにすること、すべき役割は責任もって嫌なことでも腑に落ちない事でもすることが「オトナ」と思って頑張りまくった18年。

もっともっと前も、何か達成してもまだまだ努力しなくちゃいけない、何か成し遂げて満足を感じたら何かしらのしっぺ返しが来る、1人になるのは怖いけど離れられる寂しさを感じるくらいなら自分から離れていこうというスタンスを身に付けた。
私は1人で生きていくんだ‥と言い聞かせて必死に自分を守ろうとした。


‥結果、しわ寄せがどーーーーん!と襲ってきて、
どーーーんと落ちた。



深い深い、自分でも気づかなかった闇を知り、それと向き合いながら幸せな未来を信じてのんびり生活中です。

まだまだしんどい日々が多いですが、私の備忘録のような、振り返りのような気持ちで綴っていきます。

ふと目が留まって読んでくれる方がいたら、感謝ですface02