辛い記憶からのスイッチ

今日も朝からイマイチな気分。
睡眠はイマイチだった。
何もしたくなければ何もしなくていい、とはいえ
ボーっとしててもなんだか身のおきどころがなくモヤモヤモヤモヤ・・。

歩きに行くか!と、無理やり動き出しました。
先月は「気分良くなりに行こう」と「頑張って」いて、散歩なんかにちょいちょい行ってみたんですが結局疲れた。
それで、散歩もほんとに行きたいときに、と思ったらここしばらく行ってなかった。
無理やり着替えてCCクリームだけ塗って帽子かぶって、パステルアートの画材探しにダイソーやら文房具店など周ってるうちに調子が上がってきました。
だるさやめまいがあればほんとにダメだけど、
今日はそうじゃなかったみたい。良かった。
大きな川が流れる脇の、整備されて林がきれいな遊歩道を歩いたら気分も良くなりました。
家に帰って映画見ながらお昼も食べて、掃除もできました。


帰ってくる途中コンビニに寄って雑誌コーナーを眺めていたら齋藤孝さんの本に目がいきました。
本のタイトルは忘れてしまったけど、ぱらぱらと中身を見ていて気にとまった章は「辛い出来事を忘れられない時」


辛い出来事と言うか、忘れたいのになかなか忘れられないこと、たくさんあります。
今回のウツウツでもトラウマにもなったこともあるし。
少しずつ消化できてきましたが、消化作業はそれは大変なものでした。
まだ完全ではないけど、少しずつ楽になってきています。


今まで我慢していたことが、その場所(職場)から逃げて解放されたとき、強い怒りの感情になって襲ってくるんです。
怒りの感情はそれは凄まじいもので、呪いにも似た気持ちでした。
それこそ、怒りの感情が強すぎてそれを感じている間辛くて、死にたいと思うくらいでした。
でもずっと我慢していたこと、ほんとはこうして欲しかったのに言えずに我慢して受け入れようとして無理をしていたこと、
それを解放してあげなければずっと残ります。


私は子供のころから自分の感情に蓋をする癖をつけてきてしまったので、「自分はいま何を感じているか」をきちんと感じることを心がけています。ノートにも書くようにしています。
「今、心がざわざわしている」「今、緊張している」「今、不安に思っている」←それはどうして?
「今、心が軽くて楽だ」「今、こうしていて嬉しいと思っている」
練習みたいなものです。


それでも、なかなか解消されないこともあります。

今回のお休みと同時に好きだった人とお別れしました。
同じ職場の人で、長い付き合いではなかったけど、心から好きだったのでとてもつらい選択でした。
しかも、世間にお伝えできる付き合いではなかったので誰にも相談できず、嫉妬や辛い気持ちもひたすら隠して我慢に我慢を重ねました。
私の体調がどんどん悪くなるにつれて心も離れていることを感じて、そのことが追い打ちをかけるように辛さに拍車をかけました。
私のウツウツは4年前から基盤ができていましたが、これだけ強くなったのはこの恋愛が大きな原因です。
好きすぎて依存してしまい、思うように会えない寂しさに耐えられなくて辛い日々ばかりになってしまいました。
自分に自信がなくて自己否定ばかりの自分を好きになってくれてとても大事にしてくれたので、本当に嬉しくて安心して、頼り切ってしまって、
避けられてる、と感じた時のパニックたるや相当のものでした。
私の存在を肯定してくれたことそのものを否定される、私にとっては何にも代えがたい苦痛だったんだと、今では分かります。
最後は言われたことが悲しくて腑に落ちなくて傷ついて、色々言いたいこと言いまくってしまったけど好きなまま終わりにしたのでとても辛い。


それでも、すごく好きな人なんだから、お別れは存分に悲しんで、悲しい気持ちに蓋をしないようにしようとそれに向き合ってきました。
不意によぎった時も、「会いたい、辛いよう・・」と泣く。
思い出すのは良いことばっかりじゃない。
「どうして私の理由も聞かずに決めつけたようなものの言い方をするんだろう」「きっともう、あの頃から私と一緒にいるのは面倒だったんだろうな」
そう思うと、おでこからクチビルあたりまでびっしり顔に縦線が入る・・。


齋藤孝さんは本の中で、
「辛い出来事から離れようという気持ちも大事だ」と言われてました。
なんせ立ち読みだったのですごくざっくりでしか覚えてないんだけど・・。
ご自身、飼われていた愛猫が亡くなって失意のどん底に落ち、あまりにも耐えられずに1週間後新しく子猫を飼ったようです。
その子猫の世話をしながら、先代の愛猫に対する辛い気持ちが薄まっていったと。
他にご友人の例を出していて、どうしようもない時は海外ドラマを見まくるんだそうです。海外ドラマは日本の現実とかけ離れていて忘れることができるんだそうです。


確かに、自分の気持ちに正直になって向き合うことも大事だけど、悲しい寂しいばかり言ってても何か解決するわけじゃない。
「過去」は変わらない、「今」に目を向けないと。
「あの時、あんなふうに思ってたんだろうな・・。そのころからもうだめだったのか・・」で落ち込んだところで何かいいことある?
どこかで自分で線を引かなきゃ。


今日は職場の歓送迎会なんだそうです。
「私の話題、出ないかな・・」と、存在を認めてほしい気持ちはあります。今日のウツウツはおそらくそこが影響してるんだろうな、と。
でも、もう私はそこから離れたんだから。

ちょっとはしんどくても部屋から出て外の空気を吸おうかな、今日はそう思えた日でした。