バンプ



カテゴリー作っといてそれについて全然触れてなかった、バンプ。
書いてみようかな。


結成20周年超えしたベテランバンドのBUMP OF CHICKENですが、私はまだファン歴1年くらい。
2015年の紅白に出た時に見て気になって、それから何かしら聴いたり友人がDVD見せてくれたりして急速にハマっていきました。
バンプはテレビに出ない主義のようですが、より多くの人に聴いてもらうにはどうしたらよいかと考えた時、テレビに出ようと思ったとのことで、
しっかりその思いに乗ったのでした。


夏のスピッツ大祭りが終わってから、おいとましてたね、てな具合にバンプをまた聴きだし、車の中ではずっとバンプを聴いています。
(CDを変えないというのもある‥、でも聴いちゃう)
運転中がいちばんじっくり音楽って聴ける。

ボーカル藤くんのビジュアルに完全にロックオンしたわけだけども、楽曲は本当に素晴らしい。
藤くんの声がとてもいいし、メロディもとても美しいのですが、藤くんの歌詞に魅力があります。

愛だの恋だのというのはどちらかと言うと少ない。20代頃の曲はメロディや声がわりととがってる。
でも歌詞は「弱い自分がいる、それでも前を向いて進んでいく」というのが大きなテーマとしてあるように思います。
あまり歌詞の読解力はないんですが、感じるものがある。


弱い自分、否定したい自分の内側も認めながらどう生きていくか、どう前を向いていくかという歌詞がとても励まされます。


いちいち曲を取り上げていったら明日の朝までPCかちゃかちゃするハメになる。最近の代表曲からいくと

【Butterfly】

明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり
全部嫌いなままで 愛されたかった量産型
この心自分のもの 世界をどうにでも作り変える
どういじればどうなるか 本当はちゃんと知っている ずっと


涙は君に羽をもらって キラキラ喜んで飛んだ踊った
あまりにも綺麗だから 愛されなかった量産型
悲しいほど強い魂 どんなに憎んでも消えない 消せない
何よりも綺麗なこと 本当は もっと 知っている ずっと



自分の事は大嫌いなのに愛されたい 生まれ変わって理想の人になりたいけど生まれ変わっても自分
自分の心は自分のもの 自分がどうしたいかは自分がちゃんと知っている
愛されない自分で自分が嫌い、それでも自分の心は強く美しい
自分の心は自分のもの・・


私にはそう伝わりました。
自分にあまりにもリンクするから。


この心自分のもの

この言葉に刺さります。


私の心は他の誰のものでもない私のもの
自分の人生は自分で羽を持って行きたい方向へ飛んでいく
いろんな涙が流れたけれど、その涙が羽を作る、その羽で飛ぶ・・


私の調子が悪くなる傾向も全くない時にリリースされた曲ですが、何かを示していたのかもしれません。
私はそれを信じます。
心に響いた直感は何かを暗示している、潜在意識がメッセージを送っているはずです。


Butterflyは私に強いメッセージを送ってくれた、私に心の思いを気づかせてくれたと感じています。


そして藤くん、カッコ良すぎる‥。
そんでバンプのメンバー、仲良すぎる‥。

スピッツもそうだけど、メンバーが仲良しのバンドマン、大好き!


もっともっと心に刺さったワードがあるんです~~。
自分が思ったこと、ここに順次残して行きたいと思っています。  


パワースポット



私にとってのパワースポットは八ヶ岳だ、と最近確信しました。

どれだけ通っても飽きない、久しぶりでも短いスパンで訪れても。
四季折々にみせてくれる八ヶ岳は素晴らしいたたずまいで、心をきれいにしてくれます。

いいなあ、八ヶ岳の麓に暮らしたい。

そうしたいならしたらいい。
最近少しずつ、その思いを現実化させようと気持ちを奮い立たせています。


先日、八ヶ岳の麓を歩きまくってきました。

お昼はさんでトータル3時間、八ヶ岳を眺めながら歩け歩け・・。

その前にも、守屋山に再登頂しようと計画していたのが朝まで雨だったのを中止として、1日もったいないからと八ヶ岳の麓を歩け歩けしたんです。


1度目の歩け歩け八ヶ岳の麓はトータル5~6kmほど、2度目は10kmほど歩きました。
お昼に入ったカフェやゴールとしたカフェを楽しみにしながら、ゆっくり林の中を歩くのはとても気持ちのいいものでした。


阿弥陀聖水の湧水。とても美味しいお水でした。タンクで汲んできたかった。




ヤドリギ。かわいい。




1度目にお昼で入った「ミントガーデン」のカレーランチ。無農薬のお野菜サラダがなんともすごいボリュームで、たくさん美味しく頂けちゃう。





デザートに頼んだシフォンケーキは売り切れることもあるそう。ホイップクリームは「たっぷり」と「ふつう」とあって、やはりたっぷりオーダー。




まるやち湖から望む八ヶ岳




2度目の歩け歩け八ヶ岳の麓。その日の八ヶ岳。



美しい!天気も良いからなおさらです。


蓼科山も




歩いている間の景色







この日のゴール、「パンさんのお茶」。ここでも色んな話しができて良かったんだよなー。気づいたら声をあげて笑ってたり。初めてその日会った歩けメンバーの方の、今までの経緯を聞いて「すごい!ワタシにも希望が持てる!」って心揺さぶられたり。

おしるこ。漬物がまたとても美味。




小麦まんじゅう。この時は緑茶まん。お持ち帰りにはかぼちゃまんとゴマまん。




サービスに頂いた焼きミカン



私はここで初めて焼きミカンという存在を知り、あまりの美味しさにすっかりハマってしまいました。
皮ごと食べられるのですが、川の香ばしさに実の甘さ、焼いた方が断然おいしい!
ちょうどご縁で減農薬のミカンを買うことができたので、安心して焼きミカンにして皮ごと頂いています。

あー、また行きたい!


たくさん話してゆっくりしていたので、パンさんを出たら夕暮れでした。



天気の良い日は夕日が八ヶ岳をきれいに染めて、また美しいのです。


歩け歩けでご一緒できたメンバーとたくさんお話しして色んな刺激をもらって、八ヶ岳にパワーをもらって、最高の日になります。

行けるだけ行きたいと思っています。

ウォーク&ランもそうですが、外を歩いて五感を使うことはとても気持ち良くて自分の本当の気持ちがふと湧き出てきたりする。
そんな感覚も心地よくて、よく外を歩くようにしています。
寒いけど、歩いているとあったかくなるし冷たい空気も気持ちいい。
夏だとこうはいかないからね。  


人と話すこと



無気力でいるけれども、
人と会って話したいという気持ちはとても強いです。

ほんとに、ただ制約のない生活をしているからダラダラしてしまってるだけなのかもしれないけど。


孤独力をつけると同時に、会いたい人に会っていろいろ話しをすることが自分にとって必要なことだと感じられるようになりました。
ずっと会ってなかった古い友人から新しく出会う人、じっくりと話しはしたことがなかった人、
今のこの状況だからこそ、できる会話がある。
心を開いて話すことを意識して会話する。

今まで狭い世界でしか生きてこなかったから、
いろんな仕事をしたり生活をしたりしている人たちと出会って話ができることが本当に刺激的です。
いろんな世界があるんだなあとか、いろんな生き方があるんだなあとか、だから自分にも可能性があるんだと励まされたりします。
嬉しいことです。感謝です。

今までに出会わなかったタイプの人たちに多く出会って話しをしていくことで、
ずいぶん長いこと自分の心の範囲の中でしか人と会話をしていなかったんだということにも気づきました。
自分の心の範囲が世界のすべてだとしか理解できなかったんだろうし、理解せざるをえないほど狭い世界で生きていたんだと思います。
それはそれで精いっぱい、そこでできることをしていたんだけど、
いろんな世界があることを知れる方が楽しい。
自分の思い込みや先入観をとっぱらって、その人の思いをただ聞いていると、気づかされることがたくさんあります。


この人が何を思っているのか、
自分には考えがつかないことを考えていたり、
ああ、そういう感じ方もあるんだと思ったり、

そういうひとつひとつを素直に聞けて自分の中に取り込める。

そういう状態にあることにも感謝だし、そういう機会を持てていることにも感謝。

こういう生活や状態にならなければ、知ることができない世界です。


人に会っていろんな話しをして、充実感をもって帰ってくるといつも、
「ああ、私は人の中で生きることが必要なんだな」
と、感じます。


思い込みや先入観をとっぱらって人の話しを聞くのは心地いいです。
新しい感情です。


そういう体験ができて良かったと思うし、そういう体験はこれからもどんどん増やしていきたいです。


ずーっと人間嫌いを公言してきたけど、
依存するほど人が必要だった。
本当の自分に気づけて良かったなあ。  


退屈、無気力、孤独力



10月の半ばくらいから「なんだか退屈」と思い始めて
そう思い始めたら今日1日どう過ごそう‥と思うことが増えてきました。

それまでは退屈と思うことなんかなくて、用がなければほとんど寝ていたのでまた少し良くなってきたかな、と思っていました。
退屈と思うことはいいことだよな、と。
少し前にも書きました。

しかし、退屈だから時間があるからと、行動に移すこととはまた別で、どうしていいかわからないんです。
したいことがないし、時間があってどうしようという気持ち。
時間があるからって「何しようかな♪」とウキウキしない。
長い、まだ2時間もたってない、
でも何もしたくない‥。
何もしたくない‥。
動きたくない‥。


退屈だけどしたいことがない、用がないとどうしていいか分からない、ただ座ってテレビがついてて、時間だけが経っていく、
気分としては孤独感が強い気持ちです。
だから退屈と思うのはいいことだよな、と思っても、楽ではないんです。
むしろ苦痛。苦痛な時間です。


なんでだろう。


1ヶ月くらいそんな状態が続いて、やっとわかったのが‥、

苦痛なのは退屈なんじゃなくて、時間がたくさんあるのにしたいことができない無気力でした。


したいことはたくさんあります。
本を読んだり海外ドラマの続きを見たり、どこかに出かけてみたり気になっているところを片づけてみたり。
絵も描きたいし食事に合わせなくても何か料理したっていい。
できることはたくさんあるのに、
する気にならない。それに、「何ができるかな」と考えるのも面倒でした。
する気にならないで、結局「退屈‥」と言いながら座ったまま。
お腹が空いても食事を作るのが面倒、退屈で時間がたくさんあるのに面倒、お風呂も面倒。
寝るころになったらなったで、歯を磨いたり服を着替えたりというそのものも面倒で面倒で‥。


人と会う用があればちゃんと出かけられます。
楽しみだし楽しく出かけられる。
ウォーク&ランは起きっぱなしに着替えさえして、帽子かぶっちゃえば出て行けるし、習慣のようになってきたのでできる。
なぜかできる。
寒くて面倒な日もでてきたけど‥。


誰かがいないと過ごせない、それだと自分主体の時間を過ごすことができない。
「だれか」が現れるまで、待つしかない。


ひとりでも楽しく過ごしたい、したいことができるようになりたい、
それが誰かと一緒ならなおさら楽しい、それだけのこと。

無気力の対策をして、孤独力を鍛えていこう。


最近はウツウツと悩んだり過去の事にくよくよしたり、それでざわついて落ち着かないということがかなり減ってきたので薬も飲まずにいることも多かったんですが、
無気力も立派に「普通の生活」を妨げる。
薬を飲むとやる気がちゃんと出てきて、面倒だったちょっとしたことが普通にできる。
胸のざわつきがなくて薬を飲まなくても過ごせてそれが良い状態だと思ってたけど、
それはそれで良かったんだろうけど、
無気力についてもちゃんと薬飲んでたほうが良かったのかもな。
ま、飲むことが減って気づいたわけだからいいのか。
主治医もなんとなくわかってたのかな。新しく薬勧められたけど。
でも、今ある薬で十分効くし、新しく出してもらうんではなくてちゃんと飲んでみよう。


そう思って最近積極的に薬を飲んでみようと思いました。


そして、ウォーク&ランや山登りをきっかけに長い距離を歩くことが楽しいと思うようになってきたので、

○○カフェに歩いて行ってみよう
図書館に歩いて行こう、その時にこのお店に寄ろう
○○のカツ丼が久しぶりに食べたい、それじゃここに車を置いて、長距離歩行して行ってみよう


無気力から抜けた時にそんな計画をたててみました。
そしたら少し楽しくなってきて、たてた計画を実行したいと思うようになり、実行も少しずつできています。
まだできていないことは、予定日をちゃんとたてています。

そしたら、すこし孤独で寂しいと思う時間も減ってきた。
退屈で辛いという発想もなくなってきた。


やはり孤独力を身に付けるのは大きな力になりそうです。

私は人に依存する傾向がすごく強いし、相手が良いと思うように合わせて自分の意思は後回しにすることが普通だし、人に気にしてもらえないとすねて離れて気を引こうとする。

孤独力をつけて自分を大事にできるようにならないと、人に与える力なんて到底持てるようになりません。


当面は無気力との戦い。
今日だってさっそくお風呂がダメだったけど
ま、いいや、やっぱり薬飲まないと無気力になっちゃうんだなって思えばいい。わかればいい。
明日実行したらいい。

でも明日は友人に会うから嬉しい。


人と話せる時間があるのはやっぱり嬉しいんです。
  


ウォーク&ラン



10月終わりに晴れてから、
外にウォーク&ランに出るようになりました。
家の中で足あげ運動やらストレッチやらやっていたけど、ランニング目指して行動開始。
これも大きな一歩です。
そして、これもやりたかったことの一つ。ずーっと何年も「走りたい」と思いながら、仕事疲れを理由にやらなかった。
今は時間に余裕がある。ランニングして疲れて1日動けなくても困らない。
それに決めたこと、やりたいと思ったことはとりあえずやろうということ。

午前早くに出かける日や雨が降る日以外は、ほぼ毎日出ることができています。
コースも定まって、往復5km弱。行きは上り坂だから体ならしを兼ねて早歩き(ウォーキング)をして、帰りはランニング。
始めて1週間くらいはウォーキングだけだったけど、ここ数日で走れるようになってきました。
とにかく外に出ることを優先するために、靴はずっと履いていたスニーカーではじめたんだけど、ついに靴底が剥がれたのでランニングシューズも買いました。
筋肉痛も抜けて、外に出る時間はとても気持ちいい。


目的は体型維持としなやかで筋肉のあるスレンダーな体を作ること。
マラソン大会にでたいとか、ましてやフルマラソンまでいきたいなんてことは毛頭なく、
キレイな体を作りたい。

運動不足も解消したいし、運動が習慣の生活もほしいし、
体にいいことはすすんでしたい。

なにより、外へ出て歩いたり走っている間は心が重くならない。
考え込むこともないし、今に集中できる。
太陽の日も浴びて、風を感じて、五感で感じることができる。

人間考え込んで、その思考に支配されるときはそこにとどまってしまうからなんだそうです。
考え込んでしまうとき、そのうえ悪循環な思考になってしまうとき、っていうのは、身体が動いていない。
体を動かして思考を変えるということも大事なんだそう。
それはとてもよくわかる。体験で感じました。
そして帰ってきたら、「あー、気持ち良かった!」と声に出して締めています。



走るようになったらおもしろいもんで、駅伝やってたらなんとなく見れちゃったりして、
先週の土曜日にテレビでランニング特集やってたのも興味深く見ちゃった。
なるほど~、とさっそく実践しています。
形も重視したい私は、ウエアも気になる。
ある程度続いたので、新しいウエア買ってもいいかな‥、と、冬用のウエアも買いました。
今悩んでるのは冬用ランニングタイツと耳から外れにくいイヤホン。
イヤホンの方が先かな~。
ランニンググッズをネットサーフィンで見てる時間も楽しいです。


楽しいランニングを続けていきたいと思っています。  


山登り



先日誘われて山登りしてきました。

数年前はまったく興味がなかった山登り。
マジな山登りはむりだけど、日帰りで行けるような山なら登ってみたいなと自然に思えました。
同時に、だったらあれ着てきたい、バーナー持ってって頂上でお茶飲みたいと思って、どんどん行きたくなって、
改めてお誘い頂いた時には二つ返事で「行きます!」と答えました。


当日は素晴らしいお天気で、快晴。
少し風が強いし天気予報でも「北風が強いから寒さに注意してください」って言ってたけど、
いざ登り始めたら風もほとんどなくて、素晴らしい天候に恵まれました。


登った山は守屋山。
1300m程度の山で、往復で3時間ほどで帰ってこられるという山。
頂上の景色は見渡す限りの絶景で、八ヶ岳や南アルプスが見渡せるという山。
期待膨らませて歩きました。

初心者ばかりの3人で登りましたが、初心者にはちょうどいい程度に傾斜がきつかったり緩やかになったりで、
ガイドにある時間通りに歩くことができました。
「あー、私たち人並みだ、良かったね」

登っているときの目に見える景色、キレイな紅葉、顔に当たる風、木のざわつきや落ち葉を踏む音、落ち葉や空気の匂い、暑かったり冷えて寒くなったり、休みながらお茶飲んでチョコ食べて美味しくてまた歩いて、
ずっと五感で感じるすべてが気持ち良かった。

山登りは五感すべてを使う。
体が目覚めてくる感覚が気持ち良かったです。


頂上の景色や笑顔、おにぎりやお湯を沸かして飲んだスープや甘酒やお茶が美味しかった。


足はだいぶ痛くなったけど、爽快感を存分に感じることができました。


私はACを自覚していて、それについても少しずつ克服をかねて勉強していたりするけど、
その特徴のひとつらしい、「生きている実感」がありません。
どういうことかよくわからない。
まあ、あまり考えることじゃないのかもしれないけど‥。

去年、年下の友達に「20代や30代があっという間って感じがしないんだけど、やりたいようにやってきたからかな」なんて話しをしました。
たぶんそうじゃない。
生きてる実感がなかったんじゃないかと思います。
目的も目標も、これからどうしていきたいのかもわからなかったし、それを考えると死にたくなった。

実際、だいぶ年を重ねてきたけど15歳以上年が若く見られたりするし、自分自身も現年齢の自覚がまったくない。
成人、ということもよくわからない。
漠然とそういうことは感じていたけど、生きてる実感がないってことまでは分からなかった。
嫌になったら死ねばいいと思ってたし、今も全くそう思わないということはない。


頭でばかり考えて決めて行動していると、五感はどんどん鈍くなるようです。
五感が研ぎ澄まされていると、自分の行きたい方向に自然に向かうことができるよう。
なによりも、五感で感じるものはとても気持ちいいし心を通るのです。
私は何年も五感を使っていなかったな、と思いました。

山登りで感じた五感すべてが貴重な体験でした。
五感で感じているときは生きている実感がわかる。分かりやすい。
こうやって生きていることってこういうことだという体験をふやしていけばいいのかな。


行って良かった、誘われたこと、これも私の引き寄せのひとつだと思えました。
  


引き寄せられて気づいたこと



先週の火曜日に思い立って図書館に行きました。
なにか小説が読みたいなあと思って。
料理本とかほかの本を色々眺めて小説の棚に行ったけど、本をどう選んだらいいかわからない‥。
結局心理の棚へ行ってみたら、気になる本があるあるある‥。
4冊借りてきました。

その時の気分で4冊並行に読んでいるけど、
それを通して久しぶりに自分の根底にある問題に向き合っています。
これもまた、向き合うべくして向き合おうとした
そのタイミングを自分のもってるすごい引き寄せで本が目の前に現れたんだろう、直球にくる本がそこにあったんだろう‥、と思わせるくらいに、
読んでは読んでは少しの間封印していた、自分の潜在意識が掘り起こされてきました。

どの本も、一般的なことが書かれているのにまるで自分の事を代弁して説明してくれているようで泣けてしまう。
思い出したくないことも思い出す。
でも、自分のなかでごまかそうとしたこと、感じないようにしたこと、そのせいで消化されずに歪んでしまって今があるんだから、
知ることができて良かったと思っています。
不安も焦りも強くなって少し不安定だけど、
ここは乗り越えるべきところなんだろう。


夏に自分は見捨てられないように今までやってきたんだということを書きましたが、
それを改めて実感しました。
本当に理屈と心がつながった気持ち。
私は見捨てられることが怖いという思いをもっている。


仕事を休む前の
いろんな場面を時に思い出しては
辛くなって
どうしてそんなに辛くなるのか、自分は何を感じているのか、あの時どうしてそんなに辛かったのか。
「見捨てられる」という潜在的な怖れが具現化して目の前に現れたからだ。
その「怖れ」は自分で感じないように封印していたから
怖いという感情に気づけない。
でも心はわかっているから
焦る、不安になる、怖くて仕方がないとサインをだす。
でもどうしていいかわからない。
悲しいという感情は無意識に隠そうとするけど
今回ばかりは隠すにはあまりにも大きくて脳がパニックをおこしてカバーできなくなった。


いまも消化できない、あの様々な場面を思い出すとうずくまりたくなるほどの苦しい気持ちは
全部見捨てられる怖さだったんだ


私より仕事現場の環境を選ぶ
私がいなくてもまわる
私がいなくても楽しそう
私のいないところで事が運ぶ
私の意見を覆す

私は、必要とされていない
私は必要ではない


見捨てられている



今までなんとなく分かってきたような気持ちでいたけど、昨日の夜急に頭と心が一致した。
だからあんなに辛かったんだと、
少しあの時の事を受け入れられるような気持ちになりました。



見捨てられる怖れは同時に「条件付きの愛情」も同伴していて、
見捨てられないためには常に自分が相手の期待に応えられて必要とされていることが必要だった。
条件付きの愛情でないと愛されないと信じているから。
何よりも私を優先してくれること
他の誰より私を大事にしてくれること
私がいると場が楽しい、安心する、頼りになる、
そうやって必要とされることで居場所が確保される
その条件を満たすために私は頑張る
頑張り続けて私を誰より優先してくれて、必要とされることで見捨てられていないことを確認する

そうじゃない私には価値がない

そして何より、私自身が相手にも条件がつかないと愛することができない、愛する方法を知らない

赤ちゃんが何もしなくてもそこにいるだけで愛されるように
「そこにいるだけで価値がある」、自分にも相手にもそう感じることがどういうことなのかわからない


「私は必要とされないのが怖い」
「見捨てられると思うと怖い」
「見捨てられそうと感じたら悲しまないように自分から離れてしまう、だから相手を混乱させる、嫌な思いをさせてしまう」
「そもそも愛着を持ったその人とずっといられるわけじゃない、心を開いても悲しくなるだけ、むなしいだけ」
「こんな私はいつか愛想をつかされる」


その弱さを口にすることができない
弱さを出したら必要とされない、あてにされないと信じているから



心を開くことは相当高いハードルだけど、
心を開いて自分の弱さや怖れを口にすることができれば
「それでも私はそんなあなたが好きよ」という体験ができれば
変わる

何か月も前に教えてもらったことがやっとわかってつかえがとれた。



自分の中に「見捨てられると怖いというものがある」ということがわかったのは大きな収穫でした。


体験した辛い出来事が簡単に消化されることはないけど、
自分の持ってる怖れを自覚したのは本当に良かったと思います。
なによりその点に関しては心がすっきりしている。


過去にとらわれたり未来を思い悩んだりしていては今を生きていることにならない。


あの時うまくいかなかったのはうまい方法を知らなかったし実行もできなかったんだから、
上手くいかなくて当たり前。
上手くいく方法で失敗したんじゃないんだから。
失敗したのはなぜか、わかったじゃない、良かったね。


まだ重くてウツウツしている心の中で、もう一人の自分がつぶやきました。


自分の本質や潜在意識に向き合うのはけっこうしんどいことだけど、
前に進んでいると信じてみたい。
図書館に行ったこと、借りてきた本に巡り合ったこと、読んでみようと思ったことは前に進んだひとつだと思いました。




  


なりたい自分



最近はまた少し様子が変わってきたような気がする。
ちょっと活動的。
落ちるのが怖い気もするけど、そこは気にせずこのまま続いてほしいなあと思います。

9月から5回コースで受けた心理学の講座が終わって、ちょっとさみしい感じ。すごく勉強になったし、受けて良かったと思います。
私が受けた目的は「自分を知ること」。毎回目からウロコなことばかりで、こんなにも心の作りが単純なのに時に複雑で、その複雑に悩まされてきたけれど、複雑なのは生きてきた証拠でもあったんだな‥、と思うことができました。
こんなにも、自分の事を知らなかったとは。
気持ちを切り替える方法、言葉が行動を変えること、実践的でためになることばかり。


なりたい自分になる
なりたい自分て、どんな自分だろう
なりたい自分になるためにどうしたらいいか?
なりたい自分に今日は近づくことができたかな、直せることはどんなこと?
そう思って、毎日を振り返る


最後に見た、未来の自分は幸せしかなかった。
あんな未来が待っているなら、今をコツコツ大事に生きたいと思う。
「今まで一生懸命頑張ってきたから、もう頑張る必要はない。楽に生きたって良い、引き寄せる力をもっているから」

すごく励みになります。

なにより、あの時全くわからなかった「なりたい自分」。どうなりたいか。
それが想像できるようになっただけでも大したもんだ。
少しずつ自分を肯定できるようにもなったし。
今は刺激のない生活をして安定しているけど、この先また人の中で生きていくときには心を開けるようになっていたいな。  


今日良かったこと



今日は定期受診に。

>どうでしたか?
>先月受診に来てからしばらく無気力が続いて、思ったより長かったです。でもいい加減退屈と思ったらそれが憂鬱になりました。明日もヒマ、あさってもヒマだと思ったらなんだか憂鬱で。それで動こうと思ってから1日寝てることがなくなりました。料理したり体動かしたり‥。デパスを1週間くらい飲まないときもあれば何日か飲む日もありますけど、やる気がなくってその時間が嫌なんです。デパス飲むとやる気が出てきて料理はじめたりお風呂入れたりして楽なんです。それならそれでいいかな、と思って。
>抗うつ剤飲んでみます?
>新しくですか?
>そうですけど、どうしましょう。

あまり色々と提案してくる先生ではないなあと思っていたので、私の話しを聞いて「こんなこと、どう?」って言ってきてくれたのが嬉しかったです。

>うーん‥、それでもデパス飲めば動けるし、飲まなくても同じように動ける日もあるし、大丈夫だと思います。それに退屈だって思ったことはなかったので、それは良いことかなと思って。
>うん、退屈ってのは良いことですね。
>そうですよね、このまままた様子みてみます。


文字おこしすると、とんでもなく普通のやり取りなようだけど、受診のあとなんだかすっきりした気持ちになりました。
なんかとても良かった。
その後の薬局でのやり取りもお互い笑顔で良かった。

なんか今日は良い日だった。


明日は友人のお家に行きます。
なんか作ってもって行こうと、買い物して帰っていっぱい料理しました。
さつまいもの甘辛焼き、大根の金平、ルーを使わないで作るシチュー、なすとタマネギの南蛮焼き
どれもおいしくできた!
あとはおにぎり作ってもって行くぞ~、楽しみ♪


~小さな幸せつなぎあわせよう~
スピッツ「正夢」  


3日目



今日も朝から冷たい雨で寒い。
そろそろ太陽が見たいけど、予報では昼過ぎから晴れるみたいだから期待!


運動しようと決意して3日目
今日も午前中の運動は終了。
順調に筋肉痛になっています。足は全体的にじわーっと痛い。
ここでくじけず、1日、1日。


昼寝もできるだけ避けたいし、寝なくても横になっていることを避けたいので、
起きて何かするしかない。
パステルを描けばいいんだけど、いちばん手っ取り早いのがネットサーフィンで机に向かうんだよな。それでもいいや。
それでこのブログになんだかうだうだと書いててもいいわけだし。

運動は気持ちいいからいいけど、これに何か加えて行こうと、
スピードラーニングのポッドキャストを流してみようと思いました。
前もバイリンガルニュースを流してみようと思ったけどあっさり挫けた。
走ることもダイエットもそうなんだけど、どうしても完成形を期待しすぎる。そんなに早々(しかも効果の期待を1日2日)効果出るんなら英語もとっくに話せてるし太ることもない。
もう、なんでもいいから流しとけばいいや。
テレビも面白くないし、あてのないラジオも聞く気にならないし、だったらBGMのようにただ流れてればいい。
そういう点ではポッドキャストはとてもありがたいアプリ。



ポッドキャスト流しながらのブログ、パステル、心理講座の振り返りなんかを加えてみます。