ウォーク&ラン



10月終わりに晴れてから、
外にウォーク&ランに出るようになりました。
家の中で足あげ運動やらストレッチやらやっていたけど、ランニング目指して行動開始。
これも大きな一歩です。
そして、これもやりたかったことの一つ。ずーっと何年も「走りたい」と思いながら、仕事疲れを理由にやらなかった。
今は時間に余裕がある。ランニングして疲れて1日動けなくても困らない。
それに決めたこと、やりたいと思ったことはとりあえずやろうということ。

午前早くに出かける日や雨が降る日以外は、ほぼ毎日出ることができています。
コースも定まって、往復5km弱。行きは上り坂だから体ならしを兼ねて早歩き(ウォーキング)をして、帰りはランニング。
始めて1週間くらいはウォーキングだけだったけど、ここ数日で走れるようになってきました。
とにかく外に出ることを優先するために、靴はずっと履いていたスニーカーではじめたんだけど、ついに靴底が剥がれたのでランニングシューズも買いました。
筋肉痛も抜けて、外に出る時間はとても気持ちいい。


目的は体型維持としなやかで筋肉のあるスレンダーな体を作ること。
マラソン大会にでたいとか、ましてやフルマラソンまでいきたいなんてことは毛頭なく、
キレイな体を作りたい。

運動不足も解消したいし、運動が習慣の生活もほしいし、
体にいいことはすすんでしたい。

なにより、外へ出て歩いたり走っている間は心が重くならない。
考え込むこともないし、今に集中できる。
太陽の日も浴びて、風を感じて、五感で感じることができる。

人間考え込んで、その思考に支配されるときはそこにとどまってしまうからなんだそうです。
考え込んでしまうとき、そのうえ悪循環な思考になってしまうとき、っていうのは、身体が動いていない。
体を動かして思考を変えるということも大事なんだそう。
それはとてもよくわかる。体験で感じました。
そして帰ってきたら、「あー、気持ち良かった!」と声に出して締めています。



走るようになったらおもしろいもんで、駅伝やってたらなんとなく見れちゃったりして、
先週の土曜日にテレビでランニング特集やってたのも興味深く見ちゃった。
なるほど~、とさっそく実践しています。
形も重視したい私は、ウエアも気になる。
ある程度続いたので、新しいウエア買ってもいいかな‥、と、冬用のウエアも買いました。
今悩んでるのは冬用ランニングタイツと耳から外れにくいイヤホン。
イヤホンの方が先かな~。
ランニンググッズをネットサーフィンで見てる時間も楽しいです。


楽しいランニングを続けていきたいと思っています。  


山登り



先日誘われて山登りしてきました。

数年前はまったく興味がなかった山登り。
マジな山登りはむりだけど、日帰りで行けるような山なら登ってみたいなと自然に思えました。
同時に、だったらあれ着てきたい、バーナー持ってって頂上でお茶飲みたいと思って、どんどん行きたくなって、
改めてお誘い頂いた時には二つ返事で「行きます!」と答えました。


当日は素晴らしいお天気で、快晴。
少し風が強いし天気予報でも「北風が強いから寒さに注意してください」って言ってたけど、
いざ登り始めたら風もほとんどなくて、素晴らしい天候に恵まれました。


登った山は守屋山。
1300m程度の山で、往復で3時間ほどで帰ってこられるという山。
頂上の景色は見渡す限りの絶景で、八ヶ岳や南アルプスが見渡せるという山。
期待膨らませて歩きました。

初心者ばかりの3人で登りましたが、初心者にはちょうどいい程度に傾斜がきつかったり緩やかになったりで、
ガイドにある時間通りに歩くことができました。
「あー、私たち人並みだ、良かったね」

登っているときの目に見える景色、キレイな紅葉、顔に当たる風、木のざわつきや落ち葉を踏む音、落ち葉や空気の匂い、暑かったり冷えて寒くなったり、休みながらお茶飲んでチョコ食べて美味しくてまた歩いて、
ずっと五感で感じるすべてが気持ち良かった。

山登りは五感すべてを使う。
体が目覚めてくる感覚が気持ち良かったです。


頂上の景色や笑顔、おにぎりやお湯を沸かして飲んだスープや甘酒やお茶が美味しかった。


足はだいぶ痛くなったけど、爽快感を存分に感じることができました。


私はACを自覚していて、それについても少しずつ克服をかねて勉強していたりするけど、
その特徴のひとつらしい、「生きている実感」がありません。
どういうことかよくわからない。
まあ、あまり考えることじゃないのかもしれないけど‥。

去年、年下の友達に「20代や30代があっという間って感じがしないんだけど、やりたいようにやってきたからかな」なんて話しをしました。
たぶんそうじゃない。
生きてる実感がなかったんじゃないかと思います。
目的も目標も、これからどうしていきたいのかもわからなかったし、それを考えると死にたくなった。

実際、だいぶ年を重ねてきたけど15歳以上年が若く見られたりするし、自分自身も現年齢の自覚がまったくない。
成人、ということもよくわからない。
漠然とそういうことは感じていたけど、生きてる実感がないってことまでは分からなかった。
嫌になったら死ねばいいと思ってたし、今も全くそう思わないということはない。


頭でばかり考えて決めて行動していると、五感はどんどん鈍くなるようです。
五感が研ぎ澄まされていると、自分の行きたい方向に自然に向かうことができるよう。
なによりも、五感で感じるものはとても気持ちいいし心を通るのです。
私は何年も五感を使っていなかったな、と思いました。

山登りで感じた五感すべてが貴重な体験でした。
五感で感じているときは生きている実感がわかる。分かりやすい。
こうやって生きていることってこういうことだという体験をふやしていけばいいのかな。


行って良かった、誘われたこと、これも私の引き寄せのひとつだと思えました。
  


引き寄せられて気づいたこと



先週の火曜日に思い立って図書館に行きました。
なにか小説が読みたいなあと思って。
料理本とかほかの本を色々眺めて小説の棚に行ったけど、本をどう選んだらいいかわからない‥。
結局心理の棚へ行ってみたら、気になる本があるあるある‥。
4冊借りてきました。

その時の気分で4冊並行に読んでいるけど、
それを通して久しぶりに自分の根底にある問題に向き合っています。
これもまた、向き合うべくして向き合おうとした
そのタイミングを自分のもってるすごい引き寄せで本が目の前に現れたんだろう、直球にくる本がそこにあったんだろう‥、と思わせるくらいに、
読んでは読んでは少しの間封印していた、自分の潜在意識が掘り起こされてきました。

どの本も、一般的なことが書かれているのにまるで自分の事を代弁して説明してくれているようで泣けてしまう。
思い出したくないことも思い出す。
でも、自分のなかでごまかそうとしたこと、感じないようにしたこと、そのせいで消化されずに歪んでしまって今があるんだから、
知ることができて良かったと思っています。
不安も焦りも強くなって少し不安定だけど、
ここは乗り越えるべきところなんだろう。


夏に自分は見捨てられないように今までやってきたんだということを書きましたが、
それを改めて実感しました。
本当に理屈と心がつながった気持ち。
私は見捨てられることが怖いという思いをもっている。


仕事を休む前の
いろんな場面を時に思い出しては
辛くなって
どうしてそんなに辛くなるのか、自分は何を感じているのか、あの時どうしてそんなに辛かったのか。
「見捨てられる」という潜在的な怖れが具現化して目の前に現れたからだ。
その「怖れ」は自分で感じないように封印していたから
怖いという感情に気づけない。
でも心はわかっているから
焦る、不安になる、怖くて仕方がないとサインをだす。
でもどうしていいかわからない。
悲しいという感情は無意識に隠そうとするけど
今回ばかりは隠すにはあまりにも大きくて脳がパニックをおこしてカバーできなくなった。


いまも消化できない、あの様々な場面を思い出すとうずくまりたくなるほどの苦しい気持ちは
全部見捨てられる怖さだったんだ


私より仕事現場の環境を選ぶ
私がいなくてもまわる
私がいなくても楽しそう
私のいないところで事が運ぶ
私の意見を覆す

私は、必要とされていない
私は必要ではない


見捨てられている



今までなんとなく分かってきたような気持ちでいたけど、昨日の夜急に頭と心が一致した。
だからあんなに辛かったんだと、
少しあの時の事を受け入れられるような気持ちになりました。



見捨てられる怖れは同時に「条件付きの愛情」も同伴していて、
見捨てられないためには常に自分が相手の期待に応えられて必要とされていることが必要だった。
条件付きの愛情でないと愛されないと信じているから。
何よりも私を優先してくれること
他の誰より私を大事にしてくれること
私がいると場が楽しい、安心する、頼りになる、
そうやって必要とされることで居場所が確保される
その条件を満たすために私は頑張る
頑張り続けて私を誰より優先してくれて、必要とされることで見捨てられていないことを確認する

そうじゃない私には価値がない

そして何より、私自身が相手にも条件がつかないと愛することができない、愛する方法を知らない

赤ちゃんが何もしなくてもそこにいるだけで愛されるように
「そこにいるだけで価値がある」、自分にも相手にもそう感じることがどういうことなのかわからない


「私は必要とされないのが怖い」
「見捨てられると思うと怖い」
「見捨てられそうと感じたら悲しまないように自分から離れてしまう、だから相手を混乱させる、嫌な思いをさせてしまう」
「そもそも愛着を持ったその人とずっといられるわけじゃない、心を開いても悲しくなるだけ、むなしいだけ」
「こんな私はいつか愛想をつかされる」


その弱さを口にすることができない
弱さを出したら必要とされない、あてにされないと信じているから



心を開くことは相当高いハードルだけど、
心を開いて自分の弱さや怖れを口にすることができれば
「それでも私はそんなあなたが好きよ」という体験ができれば
変わる

何か月も前に教えてもらったことがやっとわかってつかえがとれた。



自分の中に「見捨てられると怖いというものがある」ということがわかったのは大きな収穫でした。


体験した辛い出来事が簡単に消化されることはないけど、
自分の持ってる怖れを自覚したのは本当に良かったと思います。
なによりその点に関しては心がすっきりしている。


過去にとらわれたり未来を思い悩んだりしていては今を生きていることにならない。


あの時うまくいかなかったのはうまい方法を知らなかったし実行もできなかったんだから、
上手くいかなくて当たり前。
上手くいく方法で失敗したんじゃないんだから。
失敗したのはなぜか、わかったじゃない、良かったね。


まだ重くてウツウツしている心の中で、もう一人の自分がつぶやきました。


自分の本質や潜在意識に向き合うのはけっこうしんどいことだけど、
前に進んでいると信じてみたい。
図書館に行ったこと、借りてきた本に巡り合ったこと、読んでみようと思ったことは前に進んだひとつだと思いました。




  


なりたい自分



最近はまた少し様子が変わってきたような気がする。
ちょっと活動的。
落ちるのが怖い気もするけど、そこは気にせずこのまま続いてほしいなあと思います。

9月から5回コースで受けた心理学の講座が終わって、ちょっとさみしい感じ。すごく勉強になったし、受けて良かったと思います。
私が受けた目的は「自分を知ること」。毎回目からウロコなことばかりで、こんなにも心の作りが単純なのに時に複雑で、その複雑に悩まされてきたけれど、複雑なのは生きてきた証拠でもあったんだな‥、と思うことができました。
こんなにも、自分の事を知らなかったとは。
気持ちを切り替える方法、言葉が行動を変えること、実践的でためになることばかり。


なりたい自分になる
なりたい自分て、どんな自分だろう
なりたい自分になるためにどうしたらいいか?
なりたい自分に今日は近づくことができたかな、直せることはどんなこと?
そう思って、毎日を振り返る


最後に見た、未来の自分は幸せしかなかった。
あんな未来が待っているなら、今をコツコツ大事に生きたいと思う。
「今まで一生懸命頑張ってきたから、もう頑張る必要はない。楽に生きたって良い、引き寄せる力をもっているから」

すごく励みになります。

なにより、あの時全くわからなかった「なりたい自分」。どうなりたいか。
それが想像できるようになっただけでも大したもんだ。
少しずつ自分を肯定できるようにもなったし。
今は刺激のない生活をして安定しているけど、この先また人の中で生きていくときには心を開けるようになっていたいな。