あの日

もうだめだと思ったあの日。

朝起きて、布団からでるまでがまず大変。その頃には早朝覚醒もあったし熟睡がなかなかできない状況にありました。
起きる→体を起こす→そのまま前のめりにかけ布団の上に突っ伏す→しばらくゴロゴロと悶絶してやっとこ起きる→出勤まで続く吐き気。
でもその日は違いました。
四つんばいのように起き上がり、枕を見つめながら「行きたくない・・」「辛い・・」「どこにいても苦しい・・、逃げ場所を探すのも疲れた・・」

疲れた・・

楽になりたい・・

自然に疲れた、楽になりたいと思った時、
「死んだら楽になれる」と思いました。

「死んだら楽になれる」
これは死にたいという感覚とはちょっと違ってて、
“今日は疲れたからお風呂にゆっくり入ってごろーんとしよう、ごろーんとしたら楽だぞ~”
というのと同じ感覚なんです。

でも自分の意図しないところで浮かんでくる発想なので、それをつぶやいたとき心底悲しくなって泣きました。
でもその日は退職するスタッフがいて、みんなで労いをこめたお祝いをして送り出そうと予定していました。そんな人生の大切な日に私が出勤しないことでそのスタッフの汚点になりたくない、その気持ちを優先して這うように仕事に行きました。
行きの運転もずっと泣いていて、車を降りて駐車場から建物に入るまでに泣いていた痕跡を何とか隠しました。
でも、表情や雰囲気は限界を超えていました。

同僚がすぐに気づいて「辛いよね」と声をかけてくれて、そこで初めて「休みたい・・」と言ったのです。

あの時声をかけてくれなかったら、私はどうしてたんだろう。
体中が緊張していて、頭の中はストロボに照らされているようで、呼吸ができなかった。

同僚が「ご飯は食べてきたの?」と聞いてくれた時、
「・・私、何のためにご飯食べるんだろうと思っちゃうんだよね。私何のためにここにいるんだろう。」
か細い声で、初めて本音を言いました。

その同僚はしばらく出張で離れていて、出張から戻って2日目だったのです。
それまで誰にも苦しい本音を言えませんでした。


もっと弱音を出せていたら、絶対助けてもらえていた。

でも私は苦しくても言うべきではない、できないなんて言ったらみんなが困っちゃう、ほんとは誰かに助けてほしいけど、そんな自分をみせられない、

私は息もできないほど苦しくて、体中にストロボが走るほど緊張していて、そんな気持ちを隠すことはできない。
憂鬱な顔をしている人には誰も近寄ってきません。
なにより、弱音を吐かずに強がってる人間には絶対に人は近寄ってこないのです。


当時の自分には分かりませんでした。


潰れる3か月ほど前、先輩に「睡眠が安定するまで休んだ方がいい」と言われました。
なるべく休みを入れて、余裕をもって勤務を組んだけどそれでも辛くて休むことがありました。
だんだん、周りから白い目で見られるような気持ちになって、周りから「こいつは当てにできない」と思われてるんじゃないかと思って、
もう仕事は休まない、これでは居場所がなくなってしまう、こんな自分ではダメだ。
睡眠不足でも食欲がなくても緊張がとれなくても今まで親しくしていたスタッフと話しづらくなって居心地が悪くても、
家に帰って頭を抱えて落ち込みながら泣いても・・。

そうして仕事に行った結果、潰れました。

自分いじめです。


長時間労働での過労死や映画や本でも「辛いなら仕事からは逃げてもいい、逃げることは自分を守ることだ」と言われるようになってきました。
私も「うつヌケ」「死ぬくらいなら仕事辞めれば?・・ができない理由(ワケ)」を読みました。
他にも鬱に関する本や心理学の本を読んだりしましたが・・
Twitterで話題の「ちゃんとした大人」は心に刺さりました。
私も自分の声が聞こえていれば・・、聞いていれば・・。




すっかり脳と心がぶっ壊れていたので、無理でしたが。





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Posted by キャベツ at ◆2017年06月11日23:13ウツウツの道のり
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