山登り

先日誘われて山登りしてきました。
数年前はまったく興味がなかった山登り。
マジな山登りはむりだけど、日帰りで行けるような山なら登ってみたいなと自然に思えました。
同時に、だったらあれ着てきたい、バーナー持ってって頂上でお茶飲みたいと思って、どんどん行きたくなって、
改めてお誘い頂いた時には二つ返事で「行きます!」と答えました。
当日は素晴らしいお天気で、快晴。
少し風が強いし天気予報でも「北風が強いから寒さに注意してください」って言ってたけど、
いざ登り始めたら風もほとんどなくて、素晴らしい天候に恵まれました。
登った山は守屋山。
1300m程度の山で、往復で3時間ほどで帰ってこられるという山。
頂上の景色は見渡す限りの絶景で、八ヶ岳や南アルプスが見渡せるという山。
期待膨らませて歩きました。
初心者ばかりの3人で登りましたが、初心者にはちょうどいい程度に傾斜がきつかったり緩やかになったりで、
ガイドにある時間通りに歩くことができました。
「あー、私たち人並みだ、良かったね」
登っているときの目に見える景色、キレイな紅葉、顔に当たる風、木のざわつきや落ち葉を踏む音、落ち葉や空気の匂い、暑かったり冷えて寒くなったり、休みながらお茶飲んでチョコ食べて美味しくてまた歩いて、
ずっと五感で感じるすべてが気持ち良かった。
山登りは五感すべてを使う。
体が目覚めてくる感覚が気持ち良かったです。
頂上の景色や笑顔、おにぎりやお湯を沸かして飲んだスープや甘酒やお茶が美味しかった。
足はだいぶ痛くなったけど、爽快感を存分に感じることができました。
私はACを自覚していて、それについても少しずつ克服をかねて勉強していたりするけど、
その特徴のひとつらしい、「生きている実感」がありません。
どういうことかよくわからない。
まあ、あまり考えることじゃないのかもしれないけど‥。
去年、年下の友達に「20代や30代があっという間って感じがしないんだけど、やりたいようにやってきたからかな」なんて話しをしました。
たぶんそうじゃない。
生きてる実感がなかったんじゃないかと思います。
目的も目標も、これからどうしていきたいのかもわからなかったし、それを考えると死にたくなった。
実際、だいぶ年を重ねてきたけど15歳以上年が若く見られたりするし、自分自身も現年齢の自覚がまったくない。
成人、ということもよくわからない。
漠然とそういうことは感じていたけど、生きてる実感がないってことまでは分からなかった。
嫌になったら死ねばいいと思ってたし、今も全くそう思わないということはない。
頭でばかり考えて決めて行動していると、五感はどんどん鈍くなるようです。
五感が研ぎ澄まされていると、自分の行きたい方向に自然に向かうことができるよう。
なによりも、五感で感じるものはとても気持ちいいし心を通るのです。
私は何年も五感を使っていなかったな、と思いました。
山登りで感じた五感すべてが貴重な体験でした。
五感で感じているときは生きている実感がわかる。分かりやすい。
こうやって生きていることってこういうことだという体験をふやしていけばいいのかな。
行って良かった、誘われたこと、これも私の引き寄せのひとつだと思えました。
引き寄せられて気づいたこと

先週の火曜日に思い立って図書館に行きました。
なにか小説が読みたいなあと思って。
料理本とかほかの本を色々眺めて小説の棚に行ったけど、本をどう選んだらいいかわからない‥。
結局心理の棚へ行ってみたら、気になる本があるあるある‥。
4冊借りてきました。
その時の気分で4冊並行に読んでいるけど、
それを通して久しぶりに自分の根底にある問題に向き合っています。
これもまた、向き合うべくして向き合おうとした
そのタイミングを自分のもってるすごい引き寄せで本が目の前に現れたんだろう、直球にくる本がそこにあったんだろう‥、と思わせるくらいに、
読んでは読んでは少しの間封印していた、自分の潜在意識が掘り起こされてきました。
どの本も、一般的なことが書かれているのにまるで自分の事を代弁して説明してくれているようで泣けてしまう。
思い出したくないことも思い出す。
でも、自分のなかでごまかそうとしたこと、感じないようにしたこと、そのせいで消化されずに歪んでしまって今があるんだから、
知ることができて良かったと思っています。
不安も焦りも強くなって少し不安定だけど、
ここは乗り越えるべきところなんだろう。
夏に自分は見捨てられないように今までやってきたんだということを書きましたが、
それを改めて実感しました。
本当に理屈と心がつながった気持ち。
私は見捨てられることが怖いという思いをもっている。
仕事を休む前の
いろんな場面を時に思い出しては
辛くなって
どうしてそんなに辛くなるのか、自分は何を感じているのか、あの時どうしてそんなに辛かったのか。
「見捨てられる」という潜在的な怖れが具現化して目の前に現れたからだ。
その「怖れ」は自分で感じないように封印していたから
怖いという感情に気づけない。
でも心はわかっているから
焦る、不安になる、怖くて仕方がないとサインをだす。
でもどうしていいかわからない。
悲しいという感情は無意識に隠そうとするけど
今回ばかりは隠すにはあまりにも大きくて脳がパニックをおこしてカバーできなくなった。
いまも消化できない、あの様々な場面を思い出すとうずくまりたくなるほどの苦しい気持ちは
全部見捨てられる怖さだったんだ
私より仕事現場の環境を選ぶ
私がいなくてもまわる
私がいなくても楽しそう
私のいないところで事が運ぶ
私の意見を覆す
私は、必要とされていない
私は必要ではない
見捨てられている
今までなんとなく分かってきたような気持ちでいたけど、昨日の夜急に頭と心が一致した。
だからあんなに辛かったんだと、
少しあの時の事を受け入れられるような気持ちになりました。
見捨てられる怖れは同時に「条件付きの愛情」も同伴していて、
見捨てられないためには常に自分が相手の期待に応えられて必要とされていることが必要だった。
条件付きの愛情でないと愛されないと信じているから。
何よりも私を優先してくれること
他の誰より私を大事にしてくれること
私がいると場が楽しい、安心する、頼りになる、
そうやって必要とされることで居場所が確保される
その条件を満たすために私は頑張る
頑張り続けて私を誰より優先してくれて、必要とされることで見捨てられていないことを確認する
そうじゃない私には価値がない
そして何より、私自身が相手にも条件がつかないと愛することができない、愛する方法を知らない
赤ちゃんが何もしなくてもそこにいるだけで愛されるように
「そこにいるだけで価値がある」、自分にも相手にもそう感じることがどういうことなのかわからない
「私は必要とされないのが怖い」
「見捨てられると思うと怖い」
「見捨てられそうと感じたら悲しまないように自分から離れてしまう、だから相手を混乱させる、嫌な思いをさせてしまう」
「そもそも愛着を持ったその人とずっといられるわけじゃない、心を開いても悲しくなるだけ、むなしいだけ」
「こんな私はいつか愛想をつかされる」
その弱さを口にすることができない
弱さを出したら必要とされない、あてにされないと信じているから
心を開くことは相当高いハードルだけど、
心を開いて自分の弱さや怖れを口にすることができれば
「それでも私はそんなあなたが好きよ」という体験ができれば
変わる
何か月も前に教えてもらったことがやっとわかってつかえがとれた。
自分の中に「見捨てられると怖いというものがある」ということがわかったのは大きな収穫でした。
体験した辛い出来事が簡単に消化されることはないけど、
自分の持ってる怖れを自覚したのは本当に良かったと思います。
なによりその点に関しては心がすっきりしている。
過去にとらわれたり未来を思い悩んだりしていては今を生きていることにならない。
あの時うまくいかなかったのはうまい方法を知らなかったし実行もできなかったんだから、
上手くいかなくて当たり前。
上手くいく方法で失敗したんじゃないんだから。
失敗したのはなぜか、わかったじゃない、良かったね。
まだ重くてウツウツしている心の中で、もう一人の自分がつぶやきました。
自分の本質や潜在意識に向き合うのはけっこうしんどいことだけど、
前に進んでいると信じてみたい。
図書館に行ったこと、借りてきた本に巡り合ったこと、読んでみようと思ったことは前に進んだひとつだと思いました。
認められるために、見捨てられないために
嫌な思いに苛まれて辛い時、
だいたい前向きな行動はとれないのでぼんやりしてることが多いです。
まあ「ま、いっか!どーでもいい、かんがえなーい!」‥なんて気持ち切り替えるチカラがあればこんなウツウツしない。
見捨てられる恐怖、
これは子供時代の経験から来ていると思います。
世界で一番好きな父親が11歳の時に急死しました。
倒れて1週間で亡くなった。
倒れたその日、「お父さんが死んだらあたしも死のう」って思った。
本気で死のうなんて思ってない。そんなことあり得ない願掛けです。
でも、その願掛けがかなう事はありませんでした。
父親は、どんな私もいつも愛してくれました。
母親は、物心ついた時から怖い存在で、私はいつも怒られていました。
私が怒られるようなことするんだけど、叱り方がまあ怖くて、
叩かれるのは常だし、家から出されるし。
それを助けてくれるのはお父さん。
母は、怖くて話せなかった。それでももちろん慕っていくんだけど、
圧倒的に父の方が好きだったから、学校の話しとか、話をするのはいつも父親。
母が意地悪なことを言ったとき、それが冗談だと分かっていても信じたふりをして、
帰ってきた父親に泣きついて、「お母さんがそういうんだけど、ほんと?」なんてウルウル見上げて、
「お前、そんな事言うなよ」とたしなめる母を見ながら、
「お父さんはあたしの味方なんだ」と、優越感を持ったことを覚えています。
正確には、思い出したんだけど。
父と母はとても仲が良く、けんかしているところを見たことがありません。
いつも私たち子どもが寝に部屋に入った後、ふたりでお茶菓子を食べながら色んな話しをしていて、子供ながらに安心していました。
そんな父親が突然いなくなり、
父が亡くなった途方もない悲しみと一緒に、
母とどう暮らしていくのかという、漠然とした不安があったのかもしれない。
私より愛していた父が亡くなって、
お父さんがいなくなって私が残ってごめんなさい
お父さんがいなくなった悲しみで、私たちを殺そうとしないで、怖い
明日はあるかな
お母さんが困らないようにするから
掃除洗濯、弟の面倒、土曜日は弟の分のお昼を用意する
草取りだけは大嫌いでやらなかった
でも、母からありがとうと言われたことはなかった
それでも、「やるべきこと」として、ありがとうを言ってほしいなんて発想もなかった
そして、私も母に「ありがとう」と言ったことがなかった
中学になって部活を始めて、眠い、私の役目であるお風呂を洗わない
私がお風呂を洗わなければ絶対代わりに洗わず、そうするとその日の湯船はなし
洗ってくれてもいいのに・・、と思いながら、しぶしぶ洗う
夕飯の片づけ
眠くて眠くて寝てしまう
台所は汚れた食器がそのまま
寝て起きた夜中の1時、片づける
やらない自分が悪いから
それが当然でした。
自分の役割だったし、母の方針と躾だと思ってたから。
いつしか父が亡くなったあと、まだ小学生の私と弟を1人で育てた母は「世界で一番尊敬する人」になりました。
「ただいま」と言っても「おかえり」と言ってもらったことがない。
話しかけても顔は見てくれない。
そういう人なんだと思っていた。
聞こえてるからいいし、たまに小さく返事がある時あるし。
でもいつしか母に話そう、という気持ちはなくなっていました。
学校の事、友達のことなんかもちろん、悩みや相談をする相手ではなくなっていた。
言葉が厳しい母は、
テストの点が良くても「もっとやればできるのに、やらないからこれ止まり」と言います。
節約を頑張って周りの子と同じように生活してしっかりご飯が食べられて、部活もさせてくれる、
「養ってんだから手伝え」と言います。
友達から電話が来ると、向こうからそれは大声で「長電話してんじゃねえ!」と怒鳴ります。
なぜか私の洗濯物を踏む。
決められた家事をして、帰りの遅い母なので夕飯を作っても、
笑顔ではあるけど「ありがとう」は聞いたことがない。
母を怒らせると口をきいてもらえない。
何日も、何週間も。
物を頼むことが怖くなり、経済的に負担をかけてるからお金が必要でもらう時はあの手この手を考えて、なんとか頼んだ、怖かった。
母には小さな頃から「ブスだよねえ」と言われてた。
口唇裂と口蓋裂、反対咬合のある私は確かに変な顔で、それで小さな頃上の男の子たちにいじめられてたように思う。
赤ちゃんの頃から手術を繰り返し、成長に合わせて成人するまで何度も手術をしました。
全部、母が病院に連れてってくれて、手術も受けさせてくれました。
母が言う「ブス」は、冗談だというのはわかっています。
でも私はブスなのです。
どんなに周りから可愛いと言われても、私はブスなのです。
部活では常に県で上位の成績をとった私。試合は県大会まで見に来てくれました。
でも優勝はできなかった。
世界で一番尊敬する母に認められるように、母が良いと思うように、頑張る。
母が喜べば安心。
母から褒められるということは存在しない。
それはまだまだ自分の頑張りが足りないから。
・・でないと、私は見捨てられる。
当時の自分は「そうでないと、母に見捨てられる」という自覚なんて持っていません。
でも常に母の顔色をうかがい、大人になるにつれて母が良いという道を今まで進んできたことは事実で、
それも何の疑いもなく選んできました。
自分が「こうしたい」と思って選んだことなんかありませんでした。
そんなことも気づかなかったんです。
父はもちろん、母にも十分愛されてると思っていたし、母の悪態は愛情の裏返しだと良くわかっています。
でも、その愛情の裏返しでも、
父の代わりに自分が残ってごめんなさい、という思い、
母に認められていないという思い、
褒められない、ありがとうがないのは自分の頑張りが足りないという思い、
まだまだ頑張らないと喜んでもらえない、こんな自分じゃだめだという植えつけ、
そして、母が望むとおりにならないと、ずっと罪悪感を持って生きる。
常に罪悪感がある。
そんな私を認められるわけがない。
こんな基盤ができてしまったようです。
アダルトチルドレンなんだと、やっと自覚しました。
1月にあまりにも自己否定と彼との関係が辛くなってカウンセリングに行ったときに、
「インナーチャイルドを癒しましょう」というワークをしました。
そこで初めて指摘を受けたのですが、当時はまったくピンときておらず、仕事のストレスの大きさに向き合える余裕もなく、
仕事を休んでゆっくり考えた時に、自覚できました。
いろんな本やサイトを読んで、当てはまるものも大きすぎるし、
アダルトチルドレンだと自覚したとカウンセラーに話したとき、カウンセラーも否定しませんでした。
子どもの頃の記憶は、カウンセラーにワークをしてもらって思い出したことです。
普通のことだと思って、異常だなんて思わなかった。
褒められないことが自己否定を生むなんて。
母に自分のことを話そうと思わなくなったことが、
人に本心を話すということの壁になっていったようにも思います。
私にとって心うちを話すということは、すごく勇気のいることです。
嫌われる恐怖もあるし。
世界で一番愛する父が突然いなくなる、
どんなに愛する人も、ある日突然いなくなる。
母が褒めない私はまだまだ足りない人間なんだ、
母が認めない私を自分でOKだしちゃいけない。
自分が正義だと思っていた思考が自分を苦しめていたなんて。
父が亡くなってすぐは母もかなり辛かったはずで、それで怖いことを言ってしまったのはわかる。
覚えているくらいだから、強烈な記憶ではあるけれど。
でも、母に見捨てられたくなかったのか、それは分からないけど、
今の私をすごく心配しているのはものすごくわかる。
アダルトチルドレンを自覚したとたんに母と距離を置きたくなって、今まで聞き慣れていた母らしい言葉使いに嫌悪感をもつようになったし、
結局私と母は共依存の状態にあるから
これを機会にお互い本当の意味で自立しなくちゃいけない。
でないと、お互いの幸せにならない。
自覚したところで母のことはまったく嫌いじゃありません。
むしろ、まだ「こんな私」「働けなくなった私」は母の望む私じゃないという罪悪感があって、そんな自分も完全には許せてない。
でも、それでは幸せにならないから、克服したいと思っています。
ただ、
見捨てられる恐怖に対して、
母が心配している今の事実を思ったら、私は母に見捨てられることなんかないんだと思いました。
そして
得られる幸せは、お互いに自立できることだ。
悔しかったのか

友人のところに遊びに行って、
1週間で感じたこととかしんどかったこととか、いろいろ聞いてもらいました。
先週遊びに行ったときに渡せなかったというラベンダーの花に変わり、今日は黄色い花。
黄色い花は元気が出ます。
そして帰りの車の中で、ほんとは自分がどう思ってるのかに気づきました。
元同僚や上司に自分が思っていることを正直に話してみたり、職場の荷物の撤収までしても、
なぜ悲しくなるのか、いつまでも執着しているのか。
「ああ・・、仕事に行けなくなった自分が悔しかったんだ。
ストレスに負けた自分が許せなかったんだ。」
本当は、悔しかったんだ。負けたこと、できなくなったこと。
寂しさや依存に負けて、好きな人に好きでなくなるような自分になったこと。
人に喜ばれる自分じゃなくなったこと。
嫌な思いもしてトラウマになってそれが辛くて被害者感覚すら持ちながら、
結局つまるところはそんなことになるような、そんなことになった自分が今も大嫌い
辛くて辛くて耐えかねて、仕事から離れて休むことを選んだ自分は許せるけど、
あの場に行けなくなるような状態になった自分が、悔しかったんだね。
頑張っても頑張ってもできなくて、思うようにいかなくて、そして何もできなくなって、
ウツになって笑えなくなって。
仕事を休まないといけない、逃げたような自分、
人と明らかな壁を作ったことが原因で去る自分、
できなくなった自分を
認めたくなかった。
でも辛いから、行きたくないから、会いたくないから休みたいけど、
惜しんでほしくて
来ないことを悔やんでほしくて
お前が必要だ、お前じゃなきゃダメだって言ってほしくて仕方ない。
そしてそれがないこと、ない自分にがっかりして、そんな惨めな自分が嫌いで認めたくなかったんだね。
負けるのも悪くないとか言って、
本当は、ずっと勝ち続けたかったんだね。
誰にも負けたくない。
自分が一番じゃなくちゃいけない。一番でいたい。
一目置かれる自分でいたい。
その為に、必死で必死で頑張った。
だから、それができなくなって結果逃げるような自分なんて、絶対見たくなかったんだ。
どんなにそれが、間違いでなくて必要なことだとしても。
それは自分が認めるんじゃなくて、
人に追いかけて来てもらうことで、惜しんで惜しんで悔やんでもらうことで、
初めて認めることができる。
自分で自分を許すのではなくて、
人に許してもらわないと状況を受け入れられない‥。
弱音を吐くような自分では嫌われる、それも本当にあった気持ちだけど、
やっぱり何よりも、弱音を吐く自分を自分が嫌いだった。
できない自分、弱い自分、どんな何よりも
それを自分が本当に嫌いだったんだ。
今は、
ほんとに今の今は、
「どうしてる?」の連絡もなく、こうして去った自分を追ってもらえない、
そんな自分が惨めで見てられなくて、
孤独というより情けなくてその状況とそれにさらされている自分を受け入れられない。
追ってきてくれるはずの人たちがいるところを
自分は「できない人間」になって去る。
できなくなった自分が嫌い
慕われない自分にがっかり
そんな自分いじめ、かわいそうだ!!
いろいろ思い悩むと書いたりしながら自問自答して、感情に気づきながら自分と向き合ってきたけど、
人と話すことで頭が整理されてタイムラグで気づくこと、けっこうあります。
心を開いて人に話す、っていうことは本当に大きな効果があります。
聞いてくれる友人には本当に感謝です。
自分嫌いの自己否定、自分いじめがまだまだ根深くあることが分かって悲しくなったけど、
分かったせいか胸のつかえがとれました。
不思議なもんで、本当に良かったと思いました。
休職するきっかけになった職場のスタッフが連絡してこないことは、私を気遣ってのことだろうというのはわかります。
でも、自分に自信がないから、「私がいなくなってホッとしてるんだろう」という自虐の思いの方がはるかに上回ってしまうんです。
「連絡するに値しない、勝手に辞めてったんだろう?その間、こっちは散々苦労した。これでおわり、さよなら。」
相手が何を思おうと、自分にはコントロールできないし分かったところで何が変わるわけでもない。
実際、毎日の忙しさにいちいち私の事なんて考えてるほどの暇なんてないでしょう。私だったらそうだ。
ほんとにホッとしてる人もいるだろうし、
何か言いたくて言えなくて、なにやら変なつっかかりを残してしまってる人だっているかもしれない。
でも、その憶測が起こす結果は自分いじめ。
悔しかったんだね、追ってきてほしかったんだね、
そう思っていいんだよ。
人とうまくできなかった自分、そして逃げた自分、追われない自分、惨めに思う自分、
本当に、そんな自分でもいいんだよ。
そうやって自分を許していくこと、そんな自分でも愛してあげること、
なかなかできるようになるには時間がかかりそうです・・。
それでも黄色い花を見ると、心が和みます。
こどく どくどく
定番ですが
ウツウツのお休みは孤独です。
人と会う気力なんかもちろんないから
こちらから連絡取ることはめったにないし、
この人なら、と会える人は働いてるからしょっちゅう会えるわけではない。
お休みが始まってすぐに飛び込んでいった友人は遥か遠くに住んでるので会いに行けない。
LINEやSkypeでメールや動画通話ができるけど、しんどいときはそんな気力はない。
でも、寂しいのである。
ほんとに仕事以外の場所でもっと交友関係を作っておくべきだった。
そんなこと前々から分かってたけど、いかんせん深く狭くの付き合いなタイプだし、
だんだん仕事でしんどくなると交友関係を広げる気力も落ちてった。
そもそも心を開けないから交友関係の広げ方も分からなかった。
どうしてそんなに心を開けないのか?
いつからか、人に期待しない自分を作っていったから。
いつかこの人もいなくなる、いつか自分じゃない別のところに行ってしまう。
それなら、自分から離れよう。
一緒にいたいと思うから寂しくなるんだ。
最初から期待しなければ寂しい思いをしなくていい。
ずっと一緒にいることなんて不可能なんだから
そのうち離れることを前提に付き合っていこう。
20代の頃、働き出してお金も自由に使えるようになって、友達といっぱい色んな所へ行って遊びました。
休みの日に予定が入ってない日の方が圧倒的に少なかったし、来月の予定も常に入れていました。
思いつきで誘っても、たいがい誰かのってくれる。
ディズニーリゾートや旅行、お泊りパーティー、いっぱい楽しい思い出があります。
それが徐々に少なくなる。
結婚する子も増えてきて、今までのように予定を入れることが減っていった。
そのうち、「どんなに仲が良くてもどんなに大好きでも、そのうち自分から離れていく」という固定観念ができました。
それは、歳をとるうえで仕方のないこと。
でも心の底ではそれを受け入れることができなかったんですね。
そしてなぜかいつになっても結婚願望が芽生えない。
結婚を考えると、マイナスなイメージばかりを考えて「やっぱり無理だ」と思ってしまう。
1人の人とずっと一緒にいることなんてできるのだろうか・・?って。
少しずつ自由に会える友人が減っていったり、仕事で新しく親しくなった人なんかに強い執着をするようになりました。
心の底に「離れてほしくない」という気持ちがあるから
その相手のために自分は最善のことをする。
予定も合わせて調整をつける、相手が喜びそうなことをする、
でも、自分の基準に合わないと相手を責める、許さない。
「私はあなたのためにこんなに思ってやっているのに、どうして同じようにしてくれないの?」
こんな不満まるだしで態度悪ければ、私なんかと一緒に遊びたくなんかないよな。
そう思って自分から連絡を取らなくなった友人もいるし、
私じゃなくてそっちへいくなら、私も別のところへいくよ。
それで連絡しなくなった友人もいます。
こうやって明文化すると、恐ろしい。
そしてその結果、「私は1人で生きていくんだ。1人で生きていけるために強くならないと。」と思うようになりました。
気がついたら交友関係は今そこにある職場のスタッフがほとんど。
そして仕事が原因でウツウツになった今、連絡を取りたいと思う人もいない。
人に期待しない、1人で生きていく
この根底に自己否定があります。
こんな自分を選んでくれる人はいない
こんな自分に選ばれる人は気の毒だ
今は「本当は人と一緒にいたくて1人は寂しい自分」だということが分かりました。
なぜこんなふうに思うようになったのか?
自分が今まで人に執着していた、その根本の原因を突き詰めていったら、自分がどんな風に人と向き合っていたのか、寂しさを認めないために自分に言い聞かせて納得させようとしていたのかが分かりました。
辛かった。まだ辛い。
それはまた、こんど。
孤独は辛く悲しいです。毎日寂しい。
でもこの孤独の経験は、無駄ではないと思っています。
ウツウツのお休みは孤独です。
人と会う気力なんかもちろんないから
こちらから連絡取ることはめったにないし、
この人なら、と会える人は働いてるからしょっちゅう会えるわけではない。
お休みが始まってすぐに飛び込んでいった友人は遥か遠くに住んでるので会いに行けない。
LINEやSkypeでメールや動画通話ができるけど、しんどいときはそんな気力はない。
でも、寂しいのである。
ほんとに仕事以外の場所でもっと交友関係を作っておくべきだった。
そんなこと前々から分かってたけど、いかんせん深く狭くの付き合いなタイプだし、
だんだん仕事でしんどくなると交友関係を広げる気力も落ちてった。
そもそも心を開けないから交友関係の広げ方も分からなかった。
どうしてそんなに心を開けないのか?
いつからか、人に期待しない自分を作っていったから。
いつかこの人もいなくなる、いつか自分じゃない別のところに行ってしまう。
それなら、自分から離れよう。
一緒にいたいと思うから寂しくなるんだ。
最初から期待しなければ寂しい思いをしなくていい。
ずっと一緒にいることなんて不可能なんだから
そのうち離れることを前提に付き合っていこう。
20代の頃、働き出してお金も自由に使えるようになって、友達といっぱい色んな所へ行って遊びました。
休みの日に予定が入ってない日の方が圧倒的に少なかったし、来月の予定も常に入れていました。
思いつきで誘っても、たいがい誰かのってくれる。
ディズニーリゾートや旅行、お泊りパーティー、いっぱい楽しい思い出があります。
それが徐々に少なくなる。
結婚する子も増えてきて、今までのように予定を入れることが減っていった。
そのうち、「どんなに仲が良くてもどんなに大好きでも、そのうち自分から離れていく」という固定観念ができました。
それは、歳をとるうえで仕方のないこと。
でも心の底ではそれを受け入れることができなかったんですね。
そしてなぜかいつになっても結婚願望が芽生えない。
結婚を考えると、マイナスなイメージばかりを考えて「やっぱり無理だ」と思ってしまう。
1人の人とずっと一緒にいることなんてできるのだろうか・・?って。
少しずつ自由に会える友人が減っていったり、仕事で新しく親しくなった人なんかに強い執着をするようになりました。
心の底に「離れてほしくない」という気持ちがあるから
その相手のために自分は最善のことをする。
予定も合わせて調整をつける、相手が喜びそうなことをする、
でも、自分の基準に合わないと相手を責める、許さない。
「私はあなたのためにこんなに思ってやっているのに、どうして同じようにしてくれないの?」
こんな不満まるだしで態度悪ければ、私なんかと一緒に遊びたくなんかないよな。
そう思って自分から連絡を取らなくなった友人もいるし、
私じゃなくてそっちへいくなら、私も別のところへいくよ。
それで連絡しなくなった友人もいます。
こうやって明文化すると、恐ろしい。
そしてその結果、「私は1人で生きていくんだ。1人で生きていけるために強くならないと。」と思うようになりました。
気がついたら交友関係は今そこにある職場のスタッフがほとんど。
そして仕事が原因でウツウツになった今、連絡を取りたいと思う人もいない。
人に期待しない、1人で生きていく
この根底に自己否定があります。
こんな自分を選んでくれる人はいない
こんな自分に選ばれる人は気の毒だ
今は「本当は人と一緒にいたくて1人は寂しい自分」だということが分かりました。
なぜこんなふうに思うようになったのか?
自分が今まで人に執着していた、その根本の原因を突き詰めていったら、自分がどんな風に人と向き合っていたのか、寂しさを認めないために自分に言い聞かせて納得させようとしていたのかが分かりました。
辛かった。まだ辛い。
それはまた、こんど。
孤独は辛く悲しいです。毎日寂しい。
でもこの孤独の経験は、無駄ではないと思っています。