引き寄せられて気づいたこと



先週の火曜日に思い立って図書館に行きました。
なにか小説が読みたいなあと思って。
料理本とかほかの本を色々眺めて小説の棚に行ったけど、本をどう選んだらいいかわからない‥。
結局心理の棚へ行ってみたら、気になる本があるあるある‥。
4冊借りてきました。

その時の気分で4冊並行に読んでいるけど、
それを通して久しぶりに自分の根底にある問題に向き合っています。
これもまた、向き合うべくして向き合おうとした
そのタイミングを自分のもってるすごい引き寄せで本が目の前に現れたんだろう、直球にくる本がそこにあったんだろう‥、と思わせるくらいに、
読んでは読んでは少しの間封印していた、自分の潜在意識が掘り起こされてきました。

どの本も、一般的なことが書かれているのにまるで自分の事を代弁して説明してくれているようで泣けてしまう。
思い出したくないことも思い出す。
でも、自分のなかでごまかそうとしたこと、感じないようにしたこと、そのせいで消化されずに歪んでしまって今があるんだから、
知ることができて良かったと思っています。
不安も焦りも強くなって少し不安定だけど、
ここは乗り越えるべきところなんだろう。


夏に自分は見捨てられないように今までやってきたんだということを書きましたが、
それを改めて実感しました。
本当に理屈と心がつながった気持ち。
私は見捨てられることが怖いという思いをもっている。


仕事を休む前の
いろんな場面を時に思い出しては
辛くなって
どうしてそんなに辛くなるのか、自分は何を感じているのか、あの時どうしてそんなに辛かったのか。
「見捨てられる」という潜在的な怖れが具現化して目の前に現れたからだ。
その「怖れ」は自分で感じないように封印していたから
怖いという感情に気づけない。
でも心はわかっているから
焦る、不安になる、怖くて仕方がないとサインをだす。
でもどうしていいかわからない。
悲しいという感情は無意識に隠そうとするけど
今回ばかりは隠すにはあまりにも大きくて脳がパニックをおこしてカバーできなくなった。


いまも消化できない、あの様々な場面を思い出すとうずくまりたくなるほどの苦しい気持ちは
全部見捨てられる怖さだったんだ


私より仕事現場の環境を選ぶ
私がいなくてもまわる
私がいなくても楽しそう
私のいないところで事が運ぶ
私の意見を覆す

私は、必要とされていない
私は必要ではない


見捨てられている



今までなんとなく分かってきたような気持ちでいたけど、昨日の夜急に頭と心が一致した。
だからあんなに辛かったんだと、
少しあの時の事を受け入れられるような気持ちになりました。



見捨てられる怖れは同時に「条件付きの愛情」も同伴していて、
見捨てられないためには常に自分が相手の期待に応えられて必要とされていることが必要だった。
条件付きの愛情でないと愛されないと信じているから。
何よりも私を優先してくれること
他の誰より私を大事にしてくれること
私がいると場が楽しい、安心する、頼りになる、
そうやって必要とされることで居場所が確保される
その条件を満たすために私は頑張る
頑張り続けて私を誰より優先してくれて、必要とされることで見捨てられていないことを確認する

そうじゃない私には価値がない

そして何より、私自身が相手にも条件がつかないと愛することができない、愛する方法を知らない

赤ちゃんが何もしなくてもそこにいるだけで愛されるように
「そこにいるだけで価値がある」、自分にも相手にもそう感じることがどういうことなのかわからない


「私は必要とされないのが怖い」
「見捨てられると思うと怖い」
「見捨てられそうと感じたら悲しまないように自分から離れてしまう、だから相手を混乱させる、嫌な思いをさせてしまう」
「そもそも愛着を持ったその人とずっといられるわけじゃない、心を開いても悲しくなるだけ、むなしいだけ」
「こんな私はいつか愛想をつかされる」


その弱さを口にすることができない
弱さを出したら必要とされない、あてにされないと信じているから



心を開くことは相当高いハードルだけど、
心を開いて自分の弱さや怖れを口にすることができれば
「それでも私はそんなあなたが好きよ」という体験ができれば
変わる

何か月も前に教えてもらったことがやっとわかってつかえがとれた。



自分の中に「見捨てられると怖いというものがある」ということがわかったのは大きな収穫でした。


体験した辛い出来事が簡単に消化されることはないけど、
自分の持ってる怖れを自覚したのは本当に良かったと思います。
なによりその点に関しては心がすっきりしている。


過去にとらわれたり未来を思い悩んだりしていては今を生きていることにならない。


あの時うまくいかなかったのはうまい方法を知らなかったし実行もできなかったんだから、
上手くいかなくて当たり前。
上手くいく方法で失敗したんじゃないんだから。
失敗したのはなぜか、わかったじゃない、良かったね。


まだ重くてウツウツしている心の中で、もう一人の自分がつぶやきました。


自分の本質や潜在意識に向き合うのはけっこうしんどいことだけど、
前に進んでいると信じてみたい。
図書館に行ったこと、借りてきた本に巡り合ったこと、読んでみようと思ったことは前に進んだひとつだと思いました。




  


一番つらい時に誰が

今日も色々考えた。
先日書いた、「我慢していたことが怒りの感情で溢れ出た」こと。
それがある日気持ちがスイッチして、「自分が一番辛かったとき、誰がそばにいてくれたか」ということが頭をよぎりました。
その人たちにお礼をしたいと思いました。
そしたら、怒りに支配されまくってた人が頭から薄れてきたんです。
傷ついたことの解消も完全にはできないけど、感謝したいという思いはきちんとキープされてて、それからその準備をしています。


メンタリストのDaiGoさんがTwitterで、

“苦しい時にそばにいてくれる人を大切にしよう。
その人以外は、あなたの楽しい時を共に過ごす資格はない。
自分が好調な時にだけ寄ってくる調子のいい人間に注意することだ。”

と、つぶやいています。

自分は自分のことで精いっぱいで人に優しくなんかできずにいた時、
自分が一番辛かった時、
あの人は声かけてくれたな、あの人はいつも通りに接してくれた・・、
今思うとそれにホッとして救われていたことを思い出します。
休職をきっかけに、その思いをちゃんと伝えたいと思いました。
そして自分のこの経験も、大事にしたいと思っています。忘れちゃいけない。

昨日、「ツレがウツになりまして」の映画を観ました。
ウツになったツレの辛そうな様子、すっごいわかる。でもそれをとにかく横で寄り添って見守った妻のはるさんは、とても頼もしくて優しかった。
あんな人がそばにいてくれたら、辛い症状としての「孤独感」も、ずいぶん助けられると思います。
見守る方は、きっと相当大変ですけどね。


余談ちゃ余談なんだけど・・、
終わりにした彼のこと。
彼は、私が辛くて調子も顔つきも悪くなればなるほど離れていきました。
それこそが本当に辛かったし、ストレスないか聞いてきてもそれにアドバイスしたりできないことを指摘したり‥。
それもいつもメールで、会った時は何も話さなかった。私も話せなかった。
仕事中はいっさい話しかけもしなければ目も合わせない、仕事のことで声をかけると「今までそんなだった?そんな機嫌悪い?」といった態度・・。
気持ちも分かる。笑わない人と一緒にいたって楽しくないし、一緒にいて楽しい人と笑って話してる方が仕事してて楽しいに決まってる。
辛くてウツウツしてる私に何を言っていいのか分からなかったのも、分かる。
それでも、声くらいかけてほしかったな・・。
自分が辛くてそれに耐えてるときに、向こう側でほかのスタッフと楽しそうに声あげて笑ってて、そんなのあてつけにしか見えなかったよ。
仕事については色々あって、私は少しの間他部署に移って仕事してて、それから色んな歪みが生まれて、そのストレスに耐えながらやっていて潰れました。
自分が「○○さんが行くなら私が行く」と言ったことで決まった事だったけど、ほんとにやりたいことを我慢して人に譲って、自分を引き算したからこんなことになったんだと、ウツウツでお休みして分かりました。
それでも、「頑張ってるね、よくやったね」って言ってほしかったなあ・・。だって実際頑張ったし。仕事はちゃんとやったし。
私が離れて他部署に行くと決まった時、「お前が犠牲になるんだ、そうじゃない方法もあるかもしれないのに。ちゃんと戻れるようにこっちからも働きかけるから」なんて言ってたのにな。

潰れた私が悪いの?
そこに耐えられなかった弱い私がダメだったの?

そんなことはない。結果潰れたけど、私は本当によく頑張った。
ストレスは仕事だけじゃないし。


私は、逆で彼の立場だったら、どんな態度をとったかな・・。


好きな気持ちが強すぎて、そこを否定したくなかったんだと思います。でも、寂しさに耐えかねて友人に彼との付き合いを打ち明けた時、友人は「彼は支えてくれてる?」と聞きました。
私は即答できなかった。だけど、何かしら正当な理由をつけて支えてもらってることにした。そう信じたかったし。
私が元気で、いつも笑ってて、私と一緒にいる他のスタッフも楽しそうにしていて、そんな私が良かったんですね。
私のこと、大事な人だから、なんて言ってくれたけど、
それこそ地元の商店街を堂々歩ける関係ではなかったし、
私は「好調な時だけ寄っていきたい」相手だったのかもしれない。
調子の悪い私は好きの対象ではなかったのかもね。


辛いけど、ほんとだと思う。
だけど、私は潰れた自分も彼に好かれなくなった自分も、ちゃんと認めてあげようと思う。
もう自分をダメ人間なんて言いたくない。


よく考えて、広く色んな人を思い返してみて。
あの辛かった時、優しくしてくれた人はたくさんいたよ。
優しくしてくれた人の方が圧倒的に多かったよ。

冷静になって、よく周りを見渡したら見えてなかった大事なものが絶対ある。  


身体のサイレン

ここ2.3日耳閉感がある・・。
なんでだ?


ストレスがたまってまず自覚するのが体のこと。
でも無視しやすいのも体のこと。
疲れとかイライラとかなんて働いていれば標準装備なんだから、大して気にもしないし、それ以上に気持ちが元気なら頑張れちゃう。
身体のサイレン、気持ちで止めちゃうんです。



初めてストレスで仕事を休んだのが4年前。
それまでもなんだかウツウツしてたことはあったけど、ウツっぽいってことなんか思わなかった。
日がな毎日すごい不平不満があって、もう呪いにも諦めにも似た怒りが常に心の底辺に沈んでいた。
不平不満を言う自分がいけないから、その不満は非公開のTwitterに記録。
そしてそんな思いを持つ自分て、最低な奴だと思っていた。


初めてストレスで仕事を休む1年ほど前から、ストレスが高じてしでかしてるんだろうと思われる妙な嫌がらせが相次ぎました。
嫌がらせが発覚し、徐々にほかのスタッフにも広がりました。
内容は大したことではなく、でも足もつかず、首をかしげるような謎の嫌がらせ。
嫌がらせを受ける理由はないという自信があったのでそのこと自体は平気だったし、支えてくれる先輩や上司がいたから気持ちは大丈夫でした。

でも徐々にジャブがきいたのか、それが長年の膿があふれるきっかけになったのか、
いつからか「みんな、私がOKを出したからやりました、って言う。みんなが私を頼るのは私に責任を押し付けることができるからだ。私を利用している。」と思い込み始めました。

若手やブランク明け再就職のスタッフのフォローを常にしていたから、相談役になっていたんですね。
相談役は嫌じゃなかったけど、忙しい時でも自分の仕事とフォローを両立させなきゃいけない。時には自分の仕事を置いといてフォローに走らないといけない。余裕がないときはかなりしんどいです。
「ちょっと待ってもらえる?」って言う、そのことに罪悪感を感じたり。
そのうち「フォローしながら自分の仕事を賄えるんだろうか・・」の不安が強くなって、その日の仕事を無事に終えられるか怖くて仕方なくなりました。余裕がなくてソワソワしてる私を見たら周りが不安になってしまうし、という思いもありました。
だから、出勤前の憂鬱ったらない。

そのうえ1年以上続く不可解な嫌がらせが加わり、いよいよストレスがたまって思考回路もおかしくなってきて、ある日、

「そこまでして、私に来てほしくないんだ。」

・・と思ったとたん、仕事に行けなくなりました。
その時は1日休んだだけだったけど、それからどんどん自己否定が強くなっていって
「自分の周りで不可解なことが起こるのは自分に原因があるんだ。私の存在が問題なんだ。」と思うようになって、
また別の日、仕事に行って上司の顔を見たとたんに泣きはじめてしまって止まらなくなり、5日間ほど仕事を休みました。
その時から精神科にかかり始めました。病名は「適応障害」。
安定剤と睡眠剤を処方され、安定剤を飲んで落ち着いて仕事ができるならそれでいいと、またいつも通り仕事を始めました。
その時も、「仕事を休むのであれば責任もって受診しなければならない」という思いで受診したのです。

不調を知っておきながら放っておいて、また仕事を休むことがあったら。
それは社会人として無責任であり、周りに迷惑をかける

どこまで「他者中心」なんだか。



ウツウツへの明確な道のりはここから始まっています。

この2,3か月後くらいから、瞼が重いという自覚が出てきました。
あー、ついに年取ってたるんできたのかなあ‥、とがっかりしながら鏡を見るとまったくたるんでない。
でも確かにある重さ。
当時はまったく気づかなかったです。
精神科に通い始めて半年後、たまたま部署移動になりました。
この部署移動でかなりストレスが減りました。
・・当時は。


今回お休みに入る半年前、最初に体に出た症状は瞼の蕁麻疹。
両目とも、虫刺されのように赤い蕁麻疹が出ました。
朝起きて蕁麻疹ができてて、出勤する1時間後くらいには引けている。それでも皮膚科に行って「突発性蕁麻疹」との診断を受け、処方もしてもらいました。
蕁麻疹はすぐよくなりましたが、1ヶ月くらいでいろんな症状が出てきました。

耳鳴り、耳閉感(これは常にあって耳鼻科にも行った。特に問題はなかったけど聴力検査で低音部の音が聞き取りにくくなっていた)
瞼の重さ
舌の違和感、しびれ、味覚を感じにくい(味覚がイマイチなのでモノが美味しくない)
喉の違和感(薬がのどに貼り付いた感じ、最初はそうだと思って何度も水を飲んでいた)
喉の違和感が高じて閉塞感(喉仏や鎖骨の間辺りにブロックが入ってつまっているような感じ)
下痢やら便秘やら
毎晩はっきり見る夢、熟睡感のなさ
早朝覚醒
出勤前の吐き気
ずーっと続く頭痛、頭重感(今まで効いていた薬がまったく効かない)

今となって思い返すと、ずっと前の元気で働いていた頃から夕方のお腹の張りがすごく強かったです。私は子どもの頃から大食いでおトイレもとても順調な性質だったので、腸の動きが良すぎるんだと思ってました。
だったら張るなんてことはないですな、仕事で気を張ってるから腸の動きが悪くなってたんでしょう。

色々な症状から食欲は落ちるし量も食べられなくなってくるし、熟睡感がないから疲労がどんどん増していくし、なにより判断力も落ちていきます。でも考えなくちゃいけないから必死で考えて、ぐっと疲れます。いつも眠くて疲れてました。
眠気とだるさが辛くて、覚せい剤が欲しい、なんて思ったこともあります。
脳がぶっ壊れてるから。
そこへきて、なんとなく気まずい・・、から始まった人間関係のストレス。これがキツイ。
体調がイマイチなので元気がないから周りも顔色をうかがってくる、悪循環です。


休みに入って、体の症状はほぼなくなりました。
頭痛と睡眠が安定しないことはしばらく続きましたが、睡眠はここ1週間くらいでかなり良くなってきました。
ストレスによる頭痛はなくなったと思いますが、頭痛は私のバロメーターのようで、心理学的セルフワークをした次の日なんかは頭痛がとんでもなくしつこく続きます。
頭痛がとれると、「ああ、我慢してた感情をちゃんと出せたんだなあ」と思えます。


でも、なにより嬉しいのは朝の吐き気がないことと喉のつまりがないこと。
喉のつまりはピーク時は痛いくらいでした。どうにか流れないかとさすっていたくらい。
夕方のお腹の張りも気づくとまったくない。「そうだったのか・・」と驚くにしかり。


なのに、なぜかこの2,3日右耳がプツプツいってるけど、なんだろ。気持ち悪い。
まあ、仕方ない。とにかく楽に過ごそう。ゴロゴロしてよう。


これらの症状、人に言っても「不定愁訴でしょ」と思われるような気がして言えませんでした。
最初はストレスからくるものだという事を、自分自身否定していました。
それは甘えだと。疲れてるから、ちゃんと寝ないからこういうことになるんだと。
自分から出てるサイン、自分が認めてあげなくて誰が認めてくれるのicon11

まあ、精神科の受診のときに「耳鳴りが強くて‥」と話したときに耳鼻科受診するよう言われたので「やっぱりストレスと結び付けちゃいけなかったか・・」と思っちゃったってのもあるんですが‥。

医者に何と言われようとも、自分が「不快だな、不調だな、身体がなにか言ってるぞ」と無視しないことは大事です。
インフルエンザとか胃腸炎とか、分かりやすければ訴えやすいのにねえ‥。

目に見えるものしか信じない、目に見えないものほど疑って意識してあげないと気づかず見過ごして大変なことになっちゃうんですね。


やっちまったなー。  


あの日

もうだめだと思ったあの日。

朝起きて、布団からでるまでがまず大変。その頃には早朝覚醒もあったし熟睡がなかなかできない状況にありました。
起きる→体を起こす→そのまま前のめりにかけ布団の上に突っ伏す→しばらくゴロゴロと悶絶してやっとこ起きる→出勤まで続く吐き気。
でもその日は違いました。
四つんばいのように起き上がり、枕を見つめながら「行きたくない・・」「辛い・・」「どこにいても苦しい・・、逃げ場所を探すのも疲れた・・」

疲れた・・

楽になりたい・・

自然に疲れた、楽になりたいと思った時、
「死んだら楽になれる」と思いました。

「死んだら楽になれる」
これは死にたいという感覚とはちょっと違ってて、
“今日は疲れたからお風呂にゆっくり入ってごろーんとしよう、ごろーんとしたら楽だぞ~”
というのと同じ感覚なんです。

でも自分の意図しないところで浮かんでくる発想なので、それをつぶやいたとき心底悲しくなって泣きました。
でもその日は退職するスタッフがいて、みんなで労いをこめたお祝いをして送り出そうと予定していました。そんな人生の大切な日に私が出勤しないことでそのスタッフの汚点になりたくない、その気持ちを優先して這うように仕事に行きました。
行きの運転もずっと泣いていて、車を降りて駐車場から建物に入るまでに泣いていた痕跡を何とか隠しました。
でも、表情や雰囲気は限界を超えていました。

同僚がすぐに気づいて「辛いよね」と声をかけてくれて、そこで初めて「休みたい・・」と言ったのです。

あの時声をかけてくれなかったら、私はどうしてたんだろう。
体中が緊張していて、頭の中はストロボに照らされているようで、呼吸ができなかった。

同僚が「ご飯は食べてきたの?」と聞いてくれた時、
「・・私、何のためにご飯食べるんだろうと思っちゃうんだよね。私何のためにここにいるんだろう。」
か細い声で、初めて本音を言いました。

その同僚はしばらく出張で離れていて、出張から戻って2日目だったのです。
それまで誰にも苦しい本音を言えませんでした。


もっと弱音を出せていたら、絶対助けてもらえていた。

でも私は苦しくても言うべきではない、できないなんて言ったらみんなが困っちゃう、ほんとは誰かに助けてほしいけど、そんな自分をみせられない、

私は息もできないほど苦しくて、体中にストロボが走るほど緊張していて、そんな気持ちを隠すことはできない。
憂鬱な顔をしている人には誰も近寄ってきません。
なにより、弱音を吐かずに強がってる人間には絶対に人は近寄ってこないのです。


当時の自分には分かりませんでした。


潰れる3か月ほど前、先輩に「睡眠が安定するまで休んだ方がいい」と言われました。
なるべく休みを入れて、余裕をもって勤務を組んだけどそれでも辛くて休むことがありました。
だんだん、周りから白い目で見られるような気持ちになって、周りから「こいつは当てにできない」と思われてるんじゃないかと思って、
もう仕事は休まない、これでは居場所がなくなってしまう、こんな自分ではダメだ。
睡眠不足でも食欲がなくても緊張がとれなくても今まで親しくしていたスタッフと話しづらくなって居心地が悪くても、
家に帰って頭を抱えて落ち込みながら泣いても・・。

そうして仕事に行った結果、潰れました。

自分いじめです。


長時間労働での過労死や映画や本でも「辛いなら仕事からは逃げてもいい、逃げることは自分を守ることだ」と言われるようになってきました。
私も「うつヌケ」「死ぬくらいなら仕事辞めれば?・・ができない理由(ワケ)」を読みました。
他にも鬱に関する本や心理学の本を読んだりしましたが・・
Twitterで話題の「ちゃんとした大人」は心に刺さりました。
私も自分の声が聞こえていれば・・、聞いていれば・・。




すっかり脳と心がぶっ壊れていたので、無理でしたが。