赤ちゃんの生活

昨日は思いつくままに書いたなあ。
また、改めてもうちょっとまとめよう。

今日はずーっとテレビ見てます。
日テレの音楽番組。けっこうおもしろい。去年より楽しんでる気がする。
自分が変わったのか、今年のラインナップが楽しいのか。
でも楽しめてるからいいや。
友人とLINEしながら見たり。
午前中は遠くの友人とLINE動画をして、子供たちとも話せました。

途中、眠くて昼寝したら2時間近く寝ました。
眠くなった感じ、1時間いかないかなー、と思って寝たけど2時間近く寝たなんて。
LINEしてた友人は2歳になる前の子どもがいて、午後はお昼寝の時間です。
昼寝する前と起きてからとLINEして、「2時間も寝ちゃったよ、あたし○○ちゃんと一緒だ」って送ったら、


「赤ちゃんの生活って理想的だと思う。
早寝早起き昼寝付、3食+おやつ2回
ストレスのない毎日」


いいなあ~、と続くのですが、私はそっか、と思いました。
よく寝て、ご飯食べて、途中眠くなったら寝る。
ストレスのない毎日を過ごすんだ。
なんかもう、潰れるまでストレス感じたんだから。
こういう生活でいいんだ。これが休むってことだ。


休み始めて2ヶ月近く、どう休んでいいのか分からなくてたくさん検索して、
それも不安で不安で仕方なくて、何か答えが欲しくて、
そしたら気分良くしよう、良くなるように休もうと散歩に出てみたりいっぱい本読んでみたりちょっと遠出したりして、
結局疲れて、
カウンセラーに頑張って休もうとしてると言われてもまだ分からないくらい。
6月に入ってからぱたんと色々することをやめました。


先週、友人の家から帰る時に「そうか、あたし本当は仕事ができなくなって去って追われない自分が悔しくて嫌だったんだ」と気づいたとき、
明日からずーっとぼんやりしようと思いました。
それから家を出てません。昨日急に夜コンビニ行っちゃったくらい。
夜も夜、23時過ぎ。こんな時間に外に出たのは休み始めて3か月、初めてです。
毎日毎日ずーっと部屋でのんびり、テレビ見たり海外ドラマ見たり、
思いついたらブログ書いて。
パステルアートもあまりこの1週間くらいあまり描いてないけど、それでもいいんだって思えてます。
職場から荷物を撤収しても、何にこんなに悲しいのか分からなかったけど
本当に自分が思っていたことに気づいてから楽になりました。

彼から突然きた、意図が分からなかったメールの動揺もおさまって眠れるようになってきました。
あのまま、意図は分からないままだけど、
もう彼からは連絡は来ない。
私も連絡できることがないし、コンタクトがあると動揺して自分がどうなるかもわかったし、
それに支配されると自分の今がなくなるし。
もうそれぞれの生活なんだ。
寂しいけど「ない」生活を受け入れて慣れていかないと。
それが今の自分にとって必要なことなんだな。


ぼんやりしたゆっくりした生活でも、気づくことは色々あります。
  


認められるために、見捨てられないために



嫌な思いに苛まれて辛い時、
だいたい前向きな行動はとれないのでぼんやりしてることが多いです。
まあ「ま、いっか!どーでもいい、かんがえなーい!」‥なんて気持ち切り替えるチカラがあればこんなウツウツしない。


見捨てられる恐怖、
これは子供時代の経験から来ていると思います。

世界で一番好きな父親が11歳の時に急死しました。
倒れて1週間で亡くなった。
倒れたその日、「お父さんが死んだらあたしも死のう」って思った。
本気で死のうなんて思ってない。そんなことあり得ない願掛けです。
でも、その願掛けがかなう事はありませんでした。
父親は、どんな私もいつも愛してくれました。
母親は、物心ついた時から怖い存在で、私はいつも怒られていました。
私が怒られるようなことするんだけど、叱り方がまあ怖くて、
叩かれるのは常だし、家から出されるし。
それを助けてくれるのはお父さん。
母は、怖くて話せなかった。それでももちろん慕っていくんだけど、
圧倒的に父の方が好きだったから、学校の話しとか、話をするのはいつも父親。
母が意地悪なことを言ったとき、それが冗談だと分かっていても信じたふりをして、
帰ってきた父親に泣きついて、「お母さんがそういうんだけど、ほんと?」なんてウルウル見上げて、
「お前、そんな事言うなよ」とたしなめる母を見ながら、
「お父さんはあたしの味方なんだ」と、優越感を持ったことを覚えています。
正確には、思い出したんだけど。
父と母はとても仲が良く、けんかしているところを見たことがありません。
いつも私たち子どもが寝に部屋に入った後、ふたりでお茶菓子を食べながら色んな話しをしていて、子供ながらに安心していました。

そんな父親が突然いなくなり、
父が亡くなった途方もない悲しみと一緒に、
母とどう暮らしていくのかという、漠然とした不安があったのかもしれない。

私より愛していた父が亡くなって、
お父さんがいなくなって私が残ってごめんなさい
お父さんがいなくなった悲しみで、私たちを殺そうとしないで、怖い
明日はあるかな

お母さんが困らないようにするから

掃除洗濯、弟の面倒、土曜日は弟の分のお昼を用意する
草取りだけは大嫌いでやらなかった
でも、母からありがとうと言われたことはなかった
それでも、「やるべきこと」として、ありがとうを言ってほしいなんて発想もなかった
そして、私も母に「ありがとう」と言ったことがなかった


中学になって部活を始めて、眠い、私の役目であるお風呂を洗わない
私がお風呂を洗わなければ絶対代わりに洗わず、そうするとその日の湯船はなし
洗ってくれてもいいのに・・、と思いながら、しぶしぶ洗う
夕飯の片づけ
眠くて眠くて寝てしまう
台所は汚れた食器がそのまま
寝て起きた夜中の1時、片づける

やらない自分が悪いから

それが当然でした。
自分の役割だったし、母の方針と躾だと思ってたから。
いつしか父が亡くなったあと、まだ小学生の私と弟を1人で育てた母は「世界で一番尊敬する人」になりました。

「ただいま」と言っても「おかえり」と言ってもらったことがない。
話しかけても顔は見てくれない。
そういう人なんだと思っていた。
聞こえてるからいいし、たまに小さく返事がある時あるし。
でもいつしか母に話そう、という気持ちはなくなっていました。
学校の事、友達のことなんかもちろん、悩みや相談をする相手ではなくなっていた。
言葉が厳しい母は、
テストの点が良くても「もっとやればできるのに、やらないからこれ止まり」と言います。
節約を頑張って周りの子と同じように生活してしっかりご飯が食べられて、部活もさせてくれる、
「養ってんだから手伝え」と言います。
友達から電話が来ると、向こうからそれは大声で「長電話してんじゃねえ!」と怒鳴ります。
なぜか私の洗濯物を踏む。
決められた家事をして、帰りの遅い母なので夕飯を作っても、
笑顔ではあるけど「ありがとう」は聞いたことがない。
母を怒らせると口をきいてもらえない。
何日も、何週間も。
物を頼むことが怖くなり、経済的に負担をかけてるからお金が必要でもらう時はあの手この手を考えて、なんとか頼んだ、怖かった。
母には小さな頃から「ブスだよねえ」と言われてた。
口唇裂と口蓋裂、反対咬合のある私は確かに変な顔で、それで小さな頃上の男の子たちにいじめられてたように思う。
赤ちゃんの頃から手術を繰り返し、成長に合わせて成人するまで何度も手術をしました。
全部、母が病院に連れてってくれて、手術も受けさせてくれました。
母が言う「ブス」は、冗談だというのはわかっています。
でも私はブスなのです。
どんなに周りから可愛いと言われても、私はブスなのです。
部活では常に県で上位の成績をとった私。試合は県大会まで見に来てくれました。
でも優勝はできなかった。


世界で一番尊敬する母に認められるように、母が良いと思うように、頑張る。
母が喜べば安心。
母から褒められるということは存在しない。
それはまだまだ自分の頑張りが足りないから。


・・でないと、私は見捨てられる。



当時の自分は「そうでないと、母に見捨てられる」という自覚なんて持っていません。
でも常に母の顔色をうかがい、大人になるにつれて母が良いという道を今まで進んできたことは事実で、
それも何の疑いもなく選んできました。
自分が「こうしたい」と思って選んだことなんかありませんでした。
そんなことも気づかなかったんです。
父はもちろん、母にも十分愛されてると思っていたし、母の悪態は愛情の裏返しだと良くわかっています。
でも、その愛情の裏返しでも、
父の代わりに自分が残ってごめんなさい、という思い、
母に認められていないという思い、
褒められない、ありがとうがないのは自分の頑張りが足りないという思い、
まだまだ頑張らないと喜んでもらえない、こんな自分じゃだめだという植えつけ、
そして、母が望むとおりにならないと、ずっと罪悪感を持って生きる。
常に罪悪感がある。
そんな私を認められるわけがない。


こんな基盤ができてしまったようです。


アダルトチルドレンなんだと、やっと自覚しました。
1月にあまりにも自己否定と彼との関係が辛くなってカウンセリングに行ったときに、
「インナーチャイルドを癒しましょう」というワークをしました。
そこで初めて指摘を受けたのですが、当時はまったくピンときておらず、仕事のストレスの大きさに向き合える余裕もなく、
仕事を休んでゆっくり考えた時に、自覚できました。
いろんな本やサイトを読んで、当てはまるものも大きすぎるし、
アダルトチルドレンだと自覚したとカウンセラーに話したとき、カウンセラーも否定しませんでした。
子どもの頃の記憶は、カウンセラーにワークをしてもらって思い出したことです。
普通のことだと思って、異常だなんて思わなかった。
褒められないことが自己否定を生むなんて。
母に自分のことを話そうと思わなくなったことが、
人に本心を話すということの壁になっていったようにも思います。
私にとって心うちを話すということは、すごく勇気のいることです。
嫌われる恐怖もあるし。


世界で一番愛する父が突然いなくなる、
どんなに愛する人も、ある日突然いなくなる。
母が褒めない私はまだまだ足りない人間なんだ、
母が認めない私を自分でOKだしちゃいけない。


自分が正義だと思っていた思考が自分を苦しめていたなんて。



父が亡くなってすぐは母もかなり辛かったはずで、それで怖いことを言ってしまったのはわかる。
覚えているくらいだから、強烈な記憶ではあるけれど。
でも、母に見捨てられたくなかったのか、それは分からないけど、
今の私をすごく心配しているのはものすごくわかる。
アダルトチルドレンを自覚したとたんに母と距離を置きたくなって、今まで聞き慣れていた母らしい言葉使いに嫌悪感をもつようになったし、
結局私と母は共依存の状態にあるから
これを機会にお互い本当の意味で自立しなくちゃいけない。
でないと、お互いの幸せにならない。
自覚したところで母のことはまったく嫌いじゃありません。
むしろ、まだ「こんな私」「働けなくなった私」は母の望む私じゃないという罪悪感があって、そんな自分も完全には許せてない。
でも、それでは幸せにならないから、克服したいと思っています。


ただ、
見捨てられる恐怖に対して、
母が心配している今の事実を思ったら、私は母に見捨てられることなんかないんだと思いました。


そして
得られる幸せは、お互いに自立できることだ。