留まらず、上書きする



ここ何年も仕事と休日は1人で過ごす、のサイクルでいて、
2015年の年末なんて仕事に疲れまくってて早くお正月休みになってほしかった。
年末年始は人に会わずにゆっくりするぞ!って、
そこまではなんとか耐える・・、と必死。

この時すでに仕事にも人にもすっかり疲れてたんだよな。
それでも、職場の人間関係がこじれてなかったから救われていたというか、なんとかやれていたというか。

やっぱり、そこに恋愛が入ってしまったからとんでもなくこじれてしまった。


それはそうと、1人になりたいっていう、人に疲れていたという状況は何年も続いてて、
行きたくて行く友人のところも、心のどっかで「しばらくは1人じゃないんだなあ・・」なんて思っていました。
そんな風に感じる自分はどっかおかしいって思っていたし、そんな自分を他人のように見ていました。
友人のとこで1週間ほど過ごす楽しみと、1人になれない苦痛が同居していました。
実際、遊んでも出かけても、疲れが慢性化していて早く帰って横になりたかった・・。


そんな今、1人が寂しくて仕方ありません。
人に疲れて1人になりたい自分も本当だったけど、問題は疲れていたことであって、
本当は誰かと一緒がいい、誰かと一緒は安心するし楽しいことがわかった。
幸せになることや、その幸せが本当に壊れることが怖かったから、「そんなうまくいくはずがない」と幸せを避けて否定していたし、
その怖さを避けるには最初から1人でいればいいと思っていた。

今は、当時の自分がそう思っていたということが分かってしっくりはきています。

じゃあ、どうするか。


とにかく身も心も疲れていたから、ひとまず休むことに専念はしていたけれども。
そして自分と向き合うことや本当はどうしたいかということにも取り組んでみたけれども。
休んでるだけ、向き合ってるだけでは時は進んでいかない。
時というか、自分の歴史というか。


辛くてしんどくて悲しかった場所が最後で、そこに留まったままになっているのです。
あたし。


もう、休日は1人になりたいと思うほどの働き方はしたくないし、実際あんなに毎日くたびれていた日々には戻りたくありません。
前の仕事そのものに何の未練もないし、
人間関係や恋愛で傷ついた心は確かなもので、絶対戻りたくない。
寂しさや悲しさは十分に味わったし、多分これからも襲ってくる。
それを否定せず、「そうだね、悲しいよね」と、その感情を認めることは大事だけども、それだけでは前に進まないような気がする・・。


やりたいことはあるんだよな。
パステルアート、もっともっと描きたいし、体も動かしたい。勉強もしたい。
でも、全然腰が上がらない。

腰が上がらないのはまだ本心は「やりたくない」んだから、無理しなくていいんだよ。

それもそうだけど・・、
何もしないと辛い記憶や人付き合い、自分の世界そのものが上書きされていかない。


そんなの嫌だな。


昨日、その思いが確信に変わったのでした。
パステルアートのレッスンに行って、そこでカウンセラーとお話しして、
その思いが確信に変わりました。
カウンセラーの背中一押しのおかげです。
すごく清々しい気持ちになりました。


「幸せになりたい」では、今の自分が幸せではないということ。
日々の些細な「幸せだな」を増やしていく。
自分と向き合う事も大事だけど、そればっかりではそこで止まってしまう。
過去が襲ってきたら、「悲しいよね、そうだよね、お父さんにも会いたいよね」と、その思いを認めてあげて、
同時に日々の幸せも感じていく。
ご飯がおいしい、心が楽で嬉しい、やりたいことができて良かった、
1人でも幸せだな、それが2人なら、大勢なら、もっと幸せだな。
今の自分は幸せだな、それがこうなったらもっと幸せだな。
今の生活や自分を減点しない。
こうならいいな、だと、足りないところにフォーカスされてしまう。
今の7割の幸せで、それでいい。
少し足されて8割、9割だともっと幸せ。


よし!
やってみよう!
やりたいこと、やろう!
やりたいことにお金がかかっても、それは自分を豊かにする自己投資、
それをやって、自分が豊かになればお金も自然と入ってくる。
しばらくはやりたいことしかしない!


そして、いいな、やってみたいなとうっすら思っていたことが本当になりそうなこともありました。
どうなるか分からないので、あまり浮かれないようにする。
でも、できるの?やった!・・と、すごく嬉しく思ったことは忘れたくない。
これも自分でつかんだ巡り合わせだと思う。
大丈夫、やれる。やったらきっと楽しい。
これからは、自分が生きたい生き方をするんだ。


少しずつ動いていこう、と思った昨日でした。
今日もその気持ちは変わっていません。よーし。