絶不調

夕べはエアコンもつけてきちんと睡眠環境整えて寝た。
最近の中ではよく眠れたので良かったです。
曇ってるし、暑すぎず快適。
しかし、気持ちが晴れない、相変わらず。
曇ってる天気と同じ。
傷ついたきっかけの相手に怒りを感じる。
死んでほしい。
精神科医の水島広子先生は、「怒っている人は困っている人なのです」と。
確かに。
怒りの感情、嫌な記憶が抜けなくて、不快で不快で不快な時間が辛くて本当に困る。
嫌な気持ちから抜けられず、気持ちを留めたままにしている、環境を変えて新しいことを重ねていこうと動き出したのに、
なかなか簡単には楽にならないもので。
苦しいし思考パターンを変える方法が分からないので本を読んで「なるほど」と参考にしてるけど、
知れば知るほど迷いも生まれるし、辛かったことにフォーカスされていく。
あれは仕方なかった、相手はコントロールできない、そんな中、私は傷ついた、修復には時間がかかる、
傷ついた自分も不完全な自分も不完全な相手も理解できる。
でも、傷ついた苦しさがとにかく苦しい。
今は傷ついているんだから、仕方ない。吹っ切れない自分がいる、と受け入れているつもりだけど、
どこかで自分にダメだししているのだろうか。
傷ついている自分、傷ついた出来事、それはやはり自分に原因があると思うのだろうか。
私は悪くない、あの時直後の自分はむしろその衝撃によく耐えたと思う。
傷つく側も傷つける側も、不完全な人間で、完璧な人間などいないのだから、
それを許せないとどんどん生きづらくなる。
傷ついた自分は労わってあげたい。あれで傷つかないのは無理。
言葉を発した相手も不完全な人間。
わかっている、理屈では。
でも、苦しい。
あの人は、何年も会わずしてもまだ私を苦しめるのか。
形を変えてまで。
悪魔だ。
どうなってほしい?
もう死んで欲しい。
今日は心からそう思うのです。
苦しみが憎しみを生み、自分も苦しめている。
これが今の自分。それはそれでいいんだ。
死んでほしいんだよね、あんな奴、自分の中から消えてほしいんだよね。
もう関わらなくてもいいはず。そんな場面になっても、関わらないようにすることはできる。
自分が嫌なら、いいんだよ。脅威の対象なんだからもう会わなくていい。関わらなくていい。死んでほしいと思っていい。
なのに、
相手の事を知っている、という事実。
過去の現実。
積み重なった、嫌な思い出。
親しかった時のことまですべて打ち消す嫌な思い出の数々。
忘れたい。
記憶って、切り取れたらいいのにと
本気で思う。
悔しい。
ちゃんと自分を好きになって幸せになれるように小さな自分の幸せを積み重ねていきたいのに
あいつらが邪魔をする。
許せないからいけないの?
忘れられないからいけないの?
自分も相手も不完全だと、心で感じられないからいけないの?
許せない、死んでほしいと思う自分は幸せになんかなれないよね。
これが自分へのダメだしだ。
許せなくていい。
忘れられなくていい。
自分も相手も不完全だと、心から思えなくてもいい。
死んでほしいと思ってもいい。
自分が思う事は全部認めて受け入れる。言葉をかえて言い聞かせなくていい。
できないことはしなくていい。
自分を全部受け入れて、認めてあげて、許したら、幸せになれる。
焦らないで。
ちょっとでいいから
ちょっとの時間でもいいから
楽な時間をもてるようにしようね。
たくさん買った本も、
読みたくないときは読まないし、これは自分に該当しないと思ってもいいし、知りたいことはこういう事じゃないと思ってもいい。
苦しいなあ。
できるようになったことはある。
楽しいと思えることもある。
楽しみもある。
苦しいことはあるけど、とにかく今を生きよう。
齋藤一人さんの「過去は変えられる」の言葉の意味を理解したいなと思います。