なんか、楽

なんだか調子がいい。
急に調子よくなった。
お手伝いに行くペンションに慣れてきて、そこで会ったスタッフと一緒に仕事したり食事しながら話すことで楽しくなってきました。
慣れてきたせいか行く前の憂鬱もない。
お手伝いが嫌とも早く行きたいともない、とてもニュートラルな気分。
でも、始めてみて良かったなと思います。
自分で決めたせいか、お手伝いの内容が好きなことのせいか。
ペンションの朝、なんとなく飲まずにいたデパス、帰ってきてからも飲まずにいたらそのまま今日で6日間飲んでない。
びっくりしました。
ペンションの日は飲まなくても気がまぎれていいのだけど、家にひとりでいて飲まずにいられるのは何年ぶりだろうか。
デパスはすでに依存になってるだろうから、仕方ないと思っていました。
6日間も飲まずにいたのは、飲み始めてから初めてだと思います。
少し、休みの効果が出てるのかな。
この頃はスローライフの良さを感じてきているし。
休みに入ってからも散々悩んで怒って落ち込んで辛かったこと、
好きなことしかしないと決めたこと、
手当たり次第に救いを求めて本を読んだこと、
自分で決めたペンションのお手伝いが楽しいと思えること、
ちょっとずつ、自分の栄養になってるのかもしれません。
落ちついてる今の自分が楽でいいです。
それでも、ペンションを楽しんでいる自分や落ち着いてる自分、デパスを飲んでいない、この「良い状態」が
長く続くはずがない、調子に乗らない方がいい。
‥と思ってしまう、“良いことの後にはしっぺ返しがくる”思考がよぎりますが、
それは良くない思考だという事を知ったし、良くない状態がきてもそれは当たり前で仕方のないこと、その時の調子でどうすればいいか考えればいいことを知ったので、
自分を「調子にのんな」と責めないで済んでいます。
それがとてもいい。
スタッフとの間に不穏な空気が流れても、それも経験だと思って自分の気持ちを大事にしようよ
それでその時考えたらいいじゃん
楽しい今を楽しめればいいじゃん
相手はコントロールできない、人はみんな不完全、
それでいこう。
自分の感情はちゃんと伝えていこう。自分の感情を一番大事にしよう。
また憂鬱になったらデパス飲んだらいいじゃん。
他にも薬あるし、辛かったらそれでいい、それも自分を大事にすることだから、その時の自分に正直になろう。
何も悪いことはないしね。がっかりしないようにね。
今まで苦しんだ時間は無駄にならないよね、よく頑張ったよね。
楽な時間を満喫しよう、今、その日を大事に過ごそう。
どんな日も、自分のための良い時間を過ごしているから、今日は良い日だったと呟くのだ。
精神科医の水島広子先生が言われている、
「対人ストレスは対人の中で発生して、対人の中で解決する」
これが体験で分かってきた気がします。
ペンションに行きはじめて自分が人と対峙してどんな反応をするのか、その反応に対してどう思うのか分かってきたし、
人をどういう風に見ているかも分かってきた。
初めての人にはえらく緊張する、状況によっては食事もできないほど。
まず笑顔であいさつすると、相手から話してくれる。
そうすると自分も話せて、いつもの自分の調子が出せる。
理不尽な態度をとられると、自然と傷つかないように黙って怒っているような態度を出す。
それは、怒っていると思わせて相手を躊躇させて、それ以上強気な態度を取らせないようにするため。
自分を守る術だった。初めて知った。ずっと前からやっていた。でも、それでいい雰囲気にはならない。
人の悪いところ探しも癖になっている。それはなぜだろうか?
あ、あたしって悪いところしか見てないんだ。じゃあこの人のいいところは?出てこない‥。
もうちょっと意識して良いとこ探しもしてみよう。
けっこう、この人癖あるよな、どうしてみんな何も言わないんだろう?
そう疑問に思った時、自分は悪いとこ探しが癖になってることに気づきました。
自分がちょっとキツイと思ったことをほかの人も思っていることを知って、それはそれで安心しました。こんな風に思ってるの、自分だけじゃないんだ、感じて良かったんだ、と思えてホッとした。自分を責めなくて済みました。
それでも、なんでみんな来るんだろう?と考えた時、
良いところもあるし悪いところもある、の考えが当然のようにあるからか?と。
嫌なところがある、だからやめる、じゃないんだ。
これが白と黒思考なのかもしれない。自分もそうジャッジされたら悲しいな。
私も不完全、相手も不完全、だもんね。
許しあいながら受け入れながら、対人関係を築いていけばいいのかな。
今の良い状態が基本になれればいけど、
しんどい日ももちろんあるだろうし、そしたらまた落ちこめばいいや。
今日は楽だった、失敗もしたけどそれが私だ。
そんな自分が、どんな自分も好きだ。
ありのままはあるがまま(水島広子先生より)