退屈、無気力、孤独力

キャベツ

2017年12月13日 00:25



10月の半ばくらいから「なんだか退屈」と思い始めて
そう思い始めたら今日1日どう過ごそう‥と思うことが増えてきました。

それまでは退屈と思うことなんかなくて、用がなければほとんど寝ていたのでまた少し良くなってきたかな、と思っていました。
退屈と思うことはいいことだよな、と。
少し前にも書きました。

しかし、退屈だから時間があるからと、行動に移すこととはまた別で、どうしていいかわからないんです。
したいことがないし、時間があってどうしようという気持ち。
時間があるからって「何しようかな♪」とウキウキしない。
長い、まだ2時間もたってない、
でも何もしたくない‥。
何もしたくない‥。
動きたくない‥。


退屈だけどしたいことがない、用がないとどうしていいか分からない、ただ座ってテレビがついてて、時間だけが経っていく、
気分としては孤独感が強い気持ちです。
だから退屈と思うのはいいことだよな、と思っても、楽ではないんです。
むしろ苦痛。苦痛な時間です。


なんでだろう。


1ヶ月くらいそんな状態が続いて、やっとわかったのが‥、

苦痛なのは退屈なんじゃなくて、時間がたくさんあるのにしたいことができない無気力でした。


したいことはたくさんあります。
本を読んだり海外ドラマの続きを見たり、どこかに出かけてみたり気になっているところを片づけてみたり。
絵も描きたいし食事に合わせなくても何か料理したっていい。
できることはたくさんあるのに、
する気にならない。それに、「何ができるかな」と考えるのも面倒でした。
する気にならないで、結局「退屈‥」と言いながら座ったまま。
お腹が空いても食事を作るのが面倒、退屈で時間がたくさんあるのに面倒、お風呂も面倒。
寝るころになったらなったで、歯を磨いたり服を着替えたりというそのものも面倒で面倒で‥。


人と会う用があればちゃんと出かけられます。
楽しみだし楽しく出かけられる。
ウォーク&ランは起きっぱなしに着替えさえして、帽子かぶっちゃえば出て行けるし、習慣のようになってきたのでできる。
なぜかできる。
寒くて面倒な日もでてきたけど‥。


誰かがいないと過ごせない、それだと自分主体の時間を過ごすことができない。
「だれか」が現れるまで、待つしかない。


ひとりでも楽しく過ごしたい、したいことができるようになりたい、
それが誰かと一緒ならなおさら楽しい、それだけのこと。

無気力の対策をして、孤独力を鍛えていこう。


最近はウツウツと悩んだり過去の事にくよくよしたり、それでざわついて落ち着かないということがかなり減ってきたので薬も飲まずにいることも多かったんですが、
無気力も立派に「普通の生活」を妨げる。
薬を飲むとやる気がちゃんと出てきて、面倒だったちょっとしたことが普通にできる。
胸のざわつきがなくて薬を飲まなくても過ごせてそれが良い状態だと思ってたけど、
それはそれで良かったんだろうけど、
無気力についてもちゃんと薬飲んでたほうが良かったのかもな。
ま、飲むことが減って気づいたわけだからいいのか。
主治医もなんとなくわかってたのかな。新しく薬勧められたけど。
でも、今ある薬で十分効くし、新しく出してもらうんではなくてちゃんと飲んでみよう。


そう思って最近積極的に薬を飲んでみようと思いました。


そして、ウォーク&ランや山登りをきっかけに長い距離を歩くことが楽しいと思うようになってきたので、

○○カフェに歩いて行ってみよう
図書館に歩いて行こう、その時にこのお店に寄ろう
○○のカツ丼が久しぶりに食べたい、それじゃここに車を置いて、長距離歩行して行ってみよう


無気力から抜けた時にそんな計画をたててみました。
そしたら少し楽しくなってきて、たてた計画を実行したいと思うようになり、実行も少しずつできています。
まだできていないことは、予定日をちゃんとたてています。

そしたら、すこし孤独で寂しいと思う時間も減ってきた。
退屈で辛いという発想もなくなってきた。


やはり孤独力を身に付けるのは大きな力になりそうです。

私は人に依存する傾向がすごく強いし、相手が良いと思うように合わせて自分の意思は後回しにすることが普通だし、人に気にしてもらえないとすねて離れて気を引こうとする。

孤独力をつけて自分を大事にできるようにならないと、人に与える力なんて到底持てるようになりません。


当面は無気力との戦い。
今日だってさっそくお風呂がダメだったけど
ま、いいや、やっぱり薬飲まないと無気力になっちゃうんだなって思えばいい。わかればいい。
明日実行したらいい。

でも明日は友人に会うから嬉しい。


人と話せる時間があるのはやっぱり嬉しいんです。

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